週末はWan・Can・Run!

イギリスのパブ・ビールにはまって本まで出してしまったが、娘が生まれてからは、飲みに行くとツマの冷たい視線が来るようになり・・・娘がパパから離れていく頃、念願のワンを迎えて、リュックに缶ビールを忍ばせて週末あちこち散歩の日々。イギリスを始めとするパブ情報のWebページはhttp://terryspub.nobody.jp/に引っ越し、休眠中。イギリスでのパブ旅については、こっちのほうに仮にアップしています。https://terryspub2009uk.hatenablog.com

【番外編】娘の大学受験、やっと終わってヘトヘト。でも結果オーライ!!

まさに今日の日付「3月9日」という卒業ソングがあるが、我が家にとって、受験生一家を卒業したのは3月6日だった。2年くらいの戦い、しかも最後はみんなボロ雑巾のように。。。我が家の2年間の受験生活を超ダイジェストに書きます。今の受験方式は非常に複雑ですが、説明を入れるともっと長くなるので省きますね。

大学進学を意識させ始めたのは高1の秋。無料招待の共通テスト模試を受けさせ、その塾での面談で、大学生チューターに将来の話をいろいろしてもらった。
話しているうちに「私は国際文化学科に行きたいかもしれない」などと言い始めた。

塾を決めるなら高2のうちの早いほうがいいだろうと、3駅離れた大規模な塾か、地元の駅の個別指導か迷い、3か所回って、一人っ子でマイペースな我が子にとっては個別指導のほうがいいだろうと地元の個別指導に決めた。高2の4月から通い始め、夏休みからさっそく夏期講習で、少しコマ数を増やすなどしたが、夏に一番力を入れたのが、オープンキャンパス。時には親も一緒に回りながら各大学の入試科目や魅力をまとめたエクセル表の作り方を教えた。各大学の入試要項を自分で読み解くという習慣をつけさせたかったこともある。高2で4,5大学行き、高3でも文化祭含めて3大学ほど行った。

一番勉強したのは高3の夏。夏期講習を毎日のように2、3コマずつ入れ、復習とか間に合わないんじゃないかというくらい勉強した。私立文系に絞っていたので、勉強するのは英語、国語(漢文を除く)、日本史だった。日本史は冬期に集中することにし、夏は特に国語をやった。

オープンキャンパスなどを通じて、自分の興味ある学部を絞っていくと「社会学」とのことで、社会学部があって、近くて、偏差値的にちょうどよい大学に絞っていった。

推薦を受ける場合は高3の5月位のオープンキャンパスに参加することが必要になったりするので、高3になるまでには推薦を受けるかどうか決めておく必要がある。我々の時代と違い、今は学校の推薦がなくても自己推薦(総合型選抜)があるので、推薦の募集定員が半分以上の学部もあったりして、推薦も手段の一つとしては大きい。課されるのも作文だけとか英語もあり、面接まであり、といろいろで、準備の負担は少ないが、受験先に合わせたきめ細かい準備が必要になる。推薦を実施している学部の入学を早期に決めなければならないこともあり、マイペースな我が子には少し早すぎたようだ。塾からは推薦でチャンスを増やすことを勧められたが、学校(公立高校)の担任は「無理に受けなくてもいい」というスタンスだった。娘なりにいろいろ調べた結果、ここぞという学部はなかったらしく、推薦はやめておいて一般入試のみにかけることになった。

出願校は11月くらいに決めた。

A大学=(憧れ校)ランク高めだが、模試など見ると可能性はある。
B大学=(実力相応校)校舎キレイで華やかなマンモス校
C大学=(練習校)滑り止め その1 
D大学=(安全校)滑り止め その2(定員割れすれすれの、落ちることはあり得ないランク)
AとBは2日程ずつ(定員少なく門戸狭くなる全学部統一方式と、定員多く入りやすい学部個別試験)出願し、C→A(全)→B(全)→A(個)→B(個)  という理想のスケジュールを組む。早めに1月に練習として入試を体験させたいこともあり、共通テストも受けることにし、Aの共通テスト利用入試(前期)にも出願。ただし、一般的に、手軽にチャンスを増やせる共通テスト方式は、もっと上を目指す層がすべり止めに使うので、第一志望校の入試方式には向かない。

さあ、戦の開始。時系列に。
●共通テスト:善戦して、自己ベスト位の得点。共通テストのあのややこしい形式によく慣れたもんだ。
●②C試験:当日、受験科目数を勘違いしていたことが分かり、動揺しながら受験。国社2科目受けるつもりで家を出たが、実際は国1科目だけだったので、行ってからの待ち時間が長かった。
●C発表:まさかの黒星スタート!!   本人よりも親が動揺(😁)本当は、ここで安心して、明日からの試験を受けるはずだった。
●③A(全)→④B(全)→⑤A(個)→⑥B(個)試験。どの日も、「手応えなかった」暗い顔をして帰ってきた。
●③A(全)発表:1.8点届かず黒星、、、惜しい! ここで決めたかった!!
●④B(全)発表:試験はできたと言っていたので期待していたが、1時間大学のマイページに入れず、挙句の果てに娘「あ、不合格だ」、、、え? 自信あったのに、この結果? 暗雲濃くなる。
●A(個)発表:出来は悪かったという通り、黒。ただし共通テスト方式も同じ日に発表で、、こちらはなんと「補欠」つまり大学の想定以上に辞退者が出たら繰り上げ合格になる。しかし、いつ合格になるかは明確でなく、調べてみると、時には3 月下旬とかまで引っ張られることもあるようだ。ある意味不合格よりも苦しい。。。

そんなこんなで、ジェットコースターのようにぐわんぐわんと浮き沈みして(沈みだけか)迎えた最後の⑥B(個)の発表の日。この日曜日は、ママの誕生日も近いので、夜はママの誕生日祝いをすることになっていた。この日が近づいても、誕生日祝いのこととか、その日どこに買い物に行こうか、皆で話はするけど、誰も合格発表があることは怖くて触れられず。。。(笑) C大学(練習校)の「不合格」の文字を見てから、同じ文字を連続で見続けて、17日後。本人曰く、この日の試験は日本史で全く準備してなかった地質時代の出題があり、大問1問まるまる落としたとのこと。ここが不合格ならさらに安全な滑り止め校(⑦⑧⑨)に出願したり、3/7の卒業式休んで⑪を受験しなくちゃいけないという、ボロ雑巾がもっとボロボロになる死のロードが待っていた。
 大学の合格発表は朝10時。朝食後、僕は黙ってPCを出し、B大学のマイページを開いた。娘が見にくる。私「どこ見るの?」 娘「ここだよ、前もここだった」(震える声で) 私「え? ここ、このボタン?」。。。娘と覗き込む。そしてその文字は

 

「合格」

 

初めて見たその文字はめちゃくちゃ光ってた。

 

「うわぁああああああ、よかった~ああああ」半泣きで喜ぶ娘。「おおおおお」「やった~ああああ」両親も飛び上がって喜ぶ。みんなでハイタッチ。後でママに聞くと、私と娘は似た顔でよろこびをバクハツさせていて笑えたとのこと。

2年間の準備の末、やっと大学生になれた瞬間だった。ママの誕生日会は、娘の合格祝いも加わり、皆で外食する。「よかったね~」「つらかったね~」ママに対しては、今日の合格が何よりのプレゼントになった。ママは娘が高3になってから、何と合格するまでは美容院に行かない、という願をかけていた。これで、やっと行けるね!  それに加え、浮かれて、進学祝い家族旅行を3月下旬にすることにした。

しか~し、人間て欲が深いですよね、翌日にはA大学(①)の補欠合格の結果と、共通テスト方式の後期(⑩)の結果が気になっていた。
娘は結構疲れ果て、「私、もうB大学でいいや。いやむしろB大学に行きたい」とか言い出した。とりあえず入学金は払った(泣)。
でも、せっかく2年間準備してきたんだから、最後まで粘ろうよ。もしA大学から合格がきたらそっちにするように、さりげなく娘をリードしていく。あくまでも娘の人生だから、強要はできないが、A大学に望みが残っている以上、親としてはそれを捨てるわけにはいかない。

第2ラウンドが始まった。①A大学共通テスト方式の追加合格のお知らせは、待てど暮らせど来ない。A大学には「追加合格の結果はいつごろ出るんですか」とか電話で聞いてしまったが、当然明確な回答はない。本当に3月終わりまでにもつれる可能性すら出てきた。下手すると家族旅行の時期にまでもつれ込むのかもしれない。毎日A大学のマイページをチェックし続けて14日間待ち続け、いよいよ、明日は娘の卒業式、という日になってしまった。

この卒業式の日に、後から追加で出願した⑩A大学共通テスト方式(後期)の発表がある。娘が卒業式の朝10時にスマホをチェックするのは無理なので、ママが代わりに見ることになっていたのだが、ママが前日に、「明日ログインできるかどうか、試しにやってみようっと」と娘とA大学のマイページを見てみると。。。

 

「あれ、ここ合格って書いてあるよ。補欠だったとこ」

 

やっぱり本気の願かけした人が、一番引きがいいのだ。

かくして、結末はA大学補欠合格。もっと言うと、翌日発表の⑩共通テスト方式後期も合格(後期のほうが上の層が下りてくるので、これが今回の入試で最難関のはず)。

終えてみると、11戦するつもりで、実際にしたのは8戦。うち4勝、しかも第一志望校からは4方式受けて、2つも合格を頂くという好成績だった。しかし、そうなる前の、一つも合格がない状態の17日間と、合格したけど第一志望校の補欠合格を待っている14日間(しかも期限不明)、どちらも辛いつらいツライ戦いだった・・・。お子さんが複数いるご家庭はこれを何度もやっているのかと思うと、頭が下がる。一度で十分。

入試は、志望校を決めるまでが一番楽しかったかも。あとは、直前期に、親が外で感染症をもらってこれないプレッシャーもすごかった。本人も、親も、両方別の意味で苦しいし、つらい。それが受験。
だからこそ、それを一緒に乗り越えた嬉しさはひとしお。受験をする前よりも家族の一体感は高まったと思う。だが間違いなく、今回一番つらく、頑張ったのは娘。

さあ、娘の人生の新しいページが始まる。

 

富士登山本番! ⑤第3日(笑顔の下山)

3:30 起床

昨日、朝食の場所までお腹すいてしまったし、お昼もひもじい思いをした。その教訓を生かし、少し早く起き、昨夜支給されたパン2個のうち、1個は昨夜夜食として寝る前に食べ、1個は朝食べて、コーヒーも飲む。東洋館はコーヒーもおいしい。

5:03 ご来光

昨日と同じくらいきれい! こんなきれいなものを2日続けて見ているなんて、なんかバチが当たりそう。

5:30 下山開始

通常は、頂上から下山専用の道を行くのだが、このツアーの場合は、山小屋に戻ってくるので、下山道に一度入り、その後、登山道にショートカットした。今日は山小屋から、途中までブルドーザー用の物資の道を下り、6合目の手前で下山道に合流する。いわば、最も短い往復距離で富士登山ができる、究極のツアーだ。

近藤さんは、20分に1回くらいの休憩のたびに、ガイドや、富士山裏話や体験談など惜しげもなくお話してくれ、ただの休憩ではなく、心も満たされる貴重な時間だった。この下山が終わるのが、寂しい。

通常は水色に塗った下山専用道を使うのだが、このツアーの場合、2泊目も山小屋に泊まる都合上、緑色のように、登山道を戻っていくコース。

御来光を浴びる富士山。「赤富士」をこんなに間近で。

朝日を浴びながら下山開始。矢印が金時山で、その右が箱根の山らしい。

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6合目の手前? 山小屋たちがあんなに遠くに。山小屋の右上が頂上。もうこんなに下りてきてしまった

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7:20(下山開始1時間50分後) 6合目到着

2日前、あんなに不安な気持ちで「ここからが登山ですよ~」と言われたところに、こんなに楽に帰ってきている。

6合目の富士山安全管理センターを過ぎたあたりで、馬に遭遇。この時間は6合目まで、歩けなくなった下山者を乗せるために「出勤」している馬も多かった。

近藤さんが教えてくれた、雪の重みでこんな形になっているが、根っこからかろうじて栄養をとって生きている木。これから、この木のようにたくましく行くぞ!

もうすぐ5合目。行きは、ガスってたな、この道。このツアー、もうすぐ終わりだなんて、思いたくない!

8:20 五合目到着、解散

無情にも、ツアーは終わりを告げる。登山口のそばで、皆で輪になって、今回一番印象に残ったことを言い合う。僕は「馬の背」がきつかったことを言った。何で泣いたかまでは言わなかったが。

達成感、自信、一生の思い出、、、2日前にはなかったものをお土産に到着! 

ツアーが10時に終わる予定だったので、それからコインシャワー入ったり、お土産買ったりする予定で帰りのバスは12:30発に予約していた。東洋館から降りてくる下山道(ブルドーザー道)が7:00までに下りないといけないということで、予定より早めにご来光直後5:30に出発したので、5合目に到着したのは大分早かった。到着日8/19(土)は5合目は今年一番の混雑になりそうということで、初日にすでに高度順応の時間に5合目のお店は一通り見てしまったので、早めに退散しようと、11:00発のバスに変更した。小御岳神社で娘の受験のお守り、家族へのお土産、帰りのバス用のビールを買い、トイレの洗面所の水をタオルに浸して体を拭き、バスに乗ると、隣には若者男性が。レジ袋に空のペットボトルを何本も入れ、短パンにTシャツといういかにも「弾丸」っぽい感じだ。

バスが出発して、左側に見える富士山に心の中で礼を言い、5合目を下り(バスだとメロディポイントが鳴らない!)、高速に乗ったところで「プシュ、プハー」をして、この世で一番うまい一杯を飲んだ後、さあ、隣に話しかけてみるか、と隣を見ると・・・ワイヤレスイヤホンをして熟睡している。まあいいか、中国人で、言葉が通じないかもしれないし。

そんなこんなしている間に、12:00を回り、中央道府中への到着時間が近づく。ビールを飲んだので、着く前に行っておこうと、隣の人を起こして、トイレから戻ってきたタイミングで、「いつ来たんですか?」と声をかけてみた。するとその日本人の若者(20代)は、昨日から登って、僕らと同じ東洋館に泊まり、深夜出発して山頂でご来光を見たという。さらに聞くと、彼は昨年初めてトライして、8合目の山小屋「白雲荘」で高山病になってしまったらしい。「今回、高山病にならなかった理由は何だろうね」と聞いてみると「今回のほうがゆっくり登ったことですかね」彼は、5月に東洋館を予約したが、天候の都合で当初の日程から、今回の日程に変更し、今日下山してから40分後のこの便が唯一空いていた高速バスだったので、慌てて飛び乗ったとのこと。いろいろな偶然が重なり、僕と彼は隣り合ったわけだ。そして、僕がトイレに立たなかったら、こんな会話もできなかった。これだから旅は面白い。

彼は言った。「登山って、若さとかじゃないのが面白いですよね。去年、僕がへばっている横で、高齢者の方がゆうゆうと追い抜いていきました。」That’s right!!

5合目で購入し、帰りの高速バスでプシュ、うまくないはずがない!! 日本のクラフトビールのパイオニアエチゴビールさん製造


富士登山まとめ■
①江戸時代の富士講の人たちがそう信じていたように、富士山に登ることで「生まれ変わる」ことが目的だったが、ちゃんと生まれ変われたと思う。正確に言うと、「困難なことでも事前に準備すれば乗り越えられる」ことを経験し、今後への糧・自信になった。自信なさげだったOさんも、2度目にやっと登れたHさんもそうだったと思う。太古から霊峰と言われていたように、富士山登頂は、皆にすごいパワーを与えてくれる。
②2泊のツアーにして本当に良かった。これが1泊だったら、あんなハードなお鉢めぐりのあと、5合目までの下山に、膝が持たなかった。膝が痛くなり始めると手遅れなので、初めからずっとサポーターをしていたのもよかったのかもしれない。

③8/19に下山して、13時くらいに自宅に帰った後、夕方犬の散歩に行けるほど軽い筋肉痛で済んだ。翌日も尻、もも、ふくらはぎが痛かったが、練習登山のとき程度。最初の練習登山の1週間続いた筋肉痛よりはまし。

④よく「富士山は登る山ではなく、見る山」というが、確かに、8合目以降は植物も少なく、下界の景色も、曇っていればガスか雲海ばかり。登るのは砂利道かきつい岩場、と「歩いていて楽しい尾根・森林・絶景」というのは少ない。それでも、僕は富士山に実際に上ったほうが、富士山が理解でき、今度見るときにはもっと楽しめると思う。「登ってみてよかった」と絶対に言える。

⑤山頂を極めた後だが、今、今度は1合目から登ってみたい自分がいることに気づく。登る前は、そんなことを思うなんてまったく想像していなかった。そんな考えがもたげたのも、今回が想定よりも100倍楽しかったからだ。

・・・ということで、1年間僕の暴走を見守ってくれた家族と、練習登山に付き合ってくれたビータ、ありがとう!!

8/18(金)に山頂郵便局に投函して5日後に無事に家族に届いた手紙。消印には郵便局がデザインされていた。

3か月前の、初めての練習登山(奥高尾)で。

富士登山本番! ④第2日(お鉢めぐり!!)

近藤さん「それでは、お鉢めぐりに行かれる方は?」

ツアー8人のうち、手を挙げたのは、女性2人組(この方々は、ツアー前は1合目からの登ってきたほど健脚!)、僕、そして、、、Oさん。やった! 行けるんだ。

いよいよ、1年間目標にしてきたお鉢めぐり!

ということで山頂のトイレに寄ってから(字を大きくした理由は後で)、お鉢めぐりスタート!! 気温17度。風はほとんどなし、周りの雲にも切れ目があって景色もいい、というこの上ない条件。唯一気になるのは、お腹が減っていることくらい(笑)

静岡側の海。伊豆半島と、駿河湾か。

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道幅が30cm位しかないところもあるため、基本的には時計回りに回ると決められていているそうだ。近藤さんのペースも早く、まさにデス・ゾーンの中でのサバイバル。でも、不思議と、僕にはもう高山病にならない自信があった。

銀明水 昔は水が湧いていて、富士講の人たちが身体を清めたり水を持って帰ったりしたそうだ

ところどころこのような看板があり、勉強になる。

浅間神社奥宮 山頂郵便局 家族への手紙も投函できた!

お鉢めぐり開始後20分くらいで、山頂郵便局に着く。ここで売店もあったので、何が売っているのかな、何か持ち歩けるランチは? などと探しているときに、何気なく、ウエストポーチに入れてある財布を探したら、、、財布がない。頭をフル回転させて、最後に財布を触ったタイミングを思い出すと、お鉢めぐり出発前の、山頂のトイレだ。ああ、よかった、ならば戻れば絶対に届いているはず。僕はなぜかこれも確信して、最後の「剣が峰」に向かった。

 さあ、いよいよ、剣が峰の手前、「馬の背」が見えてきた。距離100m、起点標高3,730m、終点標高3,770mと、40mも登り、平均傾斜角度は22.2度という、通称「日本で一番きつい上り坂」だ。30年富士山のガイドしてきた近藤さんでさえ、「ここは、毎回イヤですね~」と言っている。「みなさん、止まらず、一気に登ったほうがいいですよ。僕も、申し訳ないですけど、ノンストップで行きます。」

やっと、ここに立てた。

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ふう。僕は、一つ息を吐いてから、近藤さん、女性2人組、Oさんに続き、一歩一歩登り始めた。3分の1までは普通に登れた。あれ? 今までの登山道は岩場が多かったし、しんどいけど、歩きづらいということはあまりなかったが、この馬の背は、細かい砂利道なので滑る。中腹位で、4人からどんどん遅れて、一人で足をズルズルさせて、進めない。むしろずり落ちるかも。ああ、進まない!

この登山で初めて「苦しい」と思い、下を向き歯を食いしばり、顔を歪めて、もがいていたら・・・涙が出てきた。なんでだろう。

父だ。昨年亡くなった父のことを、僕は昨日からまだ一度も思い出していなかった。でも、この瞬間に思い出し、今回の天気、条件、すべて、父がお膳立てしてくれたんだと気づいた。「お前はお前でこれからも人生楽しめ」父はそう言って、僕の背中を後押ししてくれた。親父、山、楽しいじゃん。

気づくと、僕は他の4人と同様、馬の背のゴール、3,770m地点まで上がっていた。サングラスをしていたので、他の人には気づかれなかっただろうが、僕は記念撮影待ちの列に加わりながら、そっと涙をぬぐった。

 

右端に映っている石塔の前で記念撮影のために並ぶ。多い時は100人くらいの行列になるそうだ。今日は10人くらい

へえ~ 二等三角点なんだ

ついに、この場所に立った! でも、自分一人では絶対立てなかった。

日本一高い場所から見下ろす火口

Oさんと硬い握手。あんなに心配そうだったのが、今は別人のように自信と喜びに満ちている。

お鉢めぐり再開 右に火口 左に西湖とかの絶景 練習登山で尾根歩きの楽しさに目覚めたが、ここは日本一高く、楽しい尾根

火口の中を歩くような道もある。なんか「火星」ぽい。でも「地球は惑星」ということも感じる、などとOさんと話しながら歩く。

 

吉田口山頂にもどった。やっぱり財布はトイレの管理人に届いていた。届けてくれた方、ありがとう!
さっきの売店で財布がないことに気づかなかったら、、、と思うと恐ろしい。これが今回の登山で一番のドジかな。

下山して最初の山小屋(ご来光館?)で念願のカップヌードル。言うまでもなくンマイ! 2分で完食

夢見心地で東洋館まで下山して、この食事。しみるんだよね~。昨日のハンバーグの代わりに今日はごまどうふ。

夕焼け。すべての疲れをいやしてくれる。てかぜんぜん疲れてない(笑) 食事の後、ビールを、Oさん、Hさんとともに1杯、その後自分だけで1杯。この日は、睡眠導入剤を使うことなく、22時に寝られた。もはや富士山タイムが身体にしみついている。

富士登山本番! ③第2日(吉田口山頂まで)

4:00  起床

パチリ。目が覚める。夜中に一度トイレで起きたものの、睡眠導入剤のおかげで、スムーズに寝られた。いつもどおりの時間なので、頭もすっきり。昨日以上に体調はいい!

 

5:00 ご来光

東だけでなく、360度全部の空が明るくなってきて、東方向、ちょうど山中湖の向こう側からのご来光。ああ、今日は絶対にいい日になる。

東洋館の前でご来光直前。この空の色が神秘的



5:03 ご来光 手前は山中湖 近藤さん曰く「今年で一番きれいなご来光」

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5:30 出発

さて、身支度を整えて、東洋館を出発。我々は連泊なので、不要なものを自室に置いておけたのがすごくよかった。僕はゴミ、昨日の服、多すぎた行動食、室内用スリッパ、などを置いていった。重さにすると1~2kgだろうが、それだけでも、昨日と背中の重みが全然違う! 

しかし、Oさんは、というと、、、「全然寝られなかったです。ほぼ一睡もしていない」と心配そうな顔。僕は睡眠導入剤を使った話をすると「僕も持ってきたんですけど、高山で使うと高山病が悪化するかもしれないと聞いて、躊躇しちゃんたんですよね」

・・・!!!

調べると、確かに睡眠薬睡眠導入剤を気圧の低いところで使うと、呼吸が抑制されて、動脈を流れる血液中の酸素が不足して、高山病が悪化する可能性があるらしい。今の僕は何ともなく、昨日の頭痛もウソのようになくなっている。よかった。僕の場合は、むしろ寝たことで高地順応がうまく進んだようだ。

それにしても、このことを知っていたら、僕は昨日睡眠導入剤を飲んだだろうか、、、でも、そんなことを考える暇はなく、「大丈夫ですよ、一緒に頂上行きましょう。」昨日Oさんが言っていたことと同じことを、今度は僕がOさんに言う番だった。

昨日も見てきた下界の景色だが、ここでも何度も振り返って見てしまう。右に八ヶ岳、左に河口湖が見える。八ヶ岳はやたら馴染みが深い場所で、山麓に東京都文京区の施設があり、小、中と学校行事として泊まりに行ったり、大学生では出身中学の行事の補助として参加したり、家族を持ってからは、府中市の施設があるのでそこに泊まりに行ったり。山麓から見るとあんなに雄大八ヶ岳連峰が、あんなに小さい。

河口湖畔には昨年9月家族で泊まったが、まったく晴れず、富士山を拝めなかった。今度また、あそこに泊まりに行くぞ!

赤い矢印が八ヶ岳。青が河口湖。

1時間登った山小屋の前で朝食。

朝食後、Oさんの様子がおかしい。消化で血液が胃に集中し、脳にあまり回っていないのかも、と携帯酸素を吸い始めた。「俺、たぶん途中で脱落します。すいません、足引っ張って」などと言い始めたので、「何言っているんですか! ほら、さっきの看板にあと2kmてあったじゃないですか。頂上はすぐですよ。絶対大丈夫ですよ」

Oさんはまだ40代だし、自転車が趣味で、普段から相当長いツーリングに行っているだけあって、体力・筋力はあった。僕は、昨日からずっと、Oさんと一緒にお鉢めぐりができることを確信していた。

富士山信仰の聖地、富士山天拝宮烏帽子岩神社。

8:30 本八合目(出発して3時間後)

さて、ひたすらストック使って岩場を登り、3時間してようやく「本八合目」に。ここから山頂までは、さらにきつい岩場を2時間登る。まさに「胸突き八丁」だ。

前も書いた通り、ツアー客のHさんは、前回この本八合目までしか上がれなかった。「Hさん、ここからは前回越えですね!」と皆の士気も上がる。

近藤さんは、「ここから山頂まではさらに空気も薄くなってきます。特に山頂付近は、本来1時間以上はいてはいけない、いわば『デス・ゾーン』です。いままで高山病発症していなかった人も発症したりします。」

これを聞いたOさんの顔色が変わる。「やっぱり、俺、ダメかもしれないです」

本八合目からは富士山は浅間神社の境内になるそうだ

本八合目。ここからは浅間神社の境内とのこと。二つの鳥居(赤い矢印)を抜けると、山頂。旗が小さく見える。(青矢印) あと2時間!

山小屋「ご来光館」を経由して、1番目の鳥居、2番目の鳥居。写真の上は2番目の鳥居。あそこを抜けたら、山頂まであと10分だ。

僕は、今までの、どの練習登山でも、この「頂上前のあと10分」くらいの時が好きだった。一番疲れてはいるけれど、山頂のためなら、足が前に進む。

しかも、今回は、体調、天気、ペース、メンバー、すべてがいいので、この胸突き八丁が、つらいけど、今までの練習登山よりも全然楽しかった。そして、ついに、、、

10:20 吉田口山頂

吉田口山頂! 久須志神社がある

標高2,400mの五合目で、すでに1番下の層の雲の上に来ていたが、3,710mの山頂には、やはりこの高さの雲があった。

日本一高い山頂広場

8人全員が無事に吉田ルートの山頂に!

 

山頂広場には100人以上の人がひしめき合っているが、高尾山よりは混雑していないと思う。ご来光の瞬間はもっと込み合っているのかもしれないが、少なくとも、僕はこの2泊3日で、富士山が「激込みで困った」と感じたことはない。これも、他の人とはピークをずらしたこのツアーならではだ。

 

ここで、近藤さん「それでは、ここからお鉢めぐりに行く方に申し出をしてもらいます。行かない人は山頂で食事などで待機していてください。ただし山頂にいられる時間は短いのでお鉢めぐりはハイペースになります。これからまた東洋館まで3時間かけて下ることを考えて、ここまで鼻歌まじりで来られたと思う人だけ参加してください。さあ、あと、2分位で結論出してくださいね。」

え? 山頂でカップラーメン食べられないんだ? そのつもりだった僕は、少しだけ、お鉢めぐり行かずに、残って腹ごしらえして、山頂でのんびり火口でも見て・・・と考えた。Oさんもお鉢めぐり行くかどうかわからないし。

、、、そして、近藤さんに申告する時間となった。

富士登山本番! ②第1日(山小屋まで)

13: 30 登山開始!

登山口で協力金1,000円を払い、札をもらう。意外にも(?)立体的でかっこいい札だったので、リュックにつけて登ることにした。練習登山ではここに熊よけの鈴をつけていたが。

「富士山世界文化遺産登録10周年記念」偶然にも、特別な年!

予報によると雨や雷の可能性もあると いうことでレインウエアを着て出発。
富士登山用に開発されたミズノのベルグテックをレンタルしておいた

登山口。何度もYou Tubeとかで見てきたここに、やっと立った!

この吉田ルートは山小屋(黒い四角マーク)が10もある。

30分ほど歩くと、右に分岐する。山頂まで6.0kmというと、近そうだが、、、ちょうど通ったのは何を運搬する車だろう?

近藤さんから「一番遅い人は前、早い人は後ろ」と言われて、じゃあ、僕は前の方かな、と一瞬思ったが、今回の8人のうち、男性は僕入れて2人だけ。そうなると、初心者だろうが何だろうが、やっぱり後ろになっておくべきなんだろうね、と2人でしんがりを務めることにする。もう一人の男性Oさんは、開口一番「不安しかないですね。とくに高山病が心配」と言っていた。「でも、絶対に8人全員で登頂しましょうね」と、底抜けにさわやかな人なのであった。

少し登り勾配になる。最初はこのような樹林帯。

10分ほど歩くと、ぱっと視界が開けた。ガスっていてあまり見えないが。このツアーのペースはゆっくりなので、1列になって、他の登山客の邪魔にならないように歩く。と言っても、僕はちょいちょい写真を撮るためにはみ出してしまったが。

14:30  6合目に到着

ここには「富士山安全指導センター」とトイレがある。事前には、デポジット2,000円でヘルメットを借りようと思っていたが、いざここに来ると、たぶん、500gはあるよなあ、、、そして、もし大きな落石があったら、首の骨折って死ぬから、ヘルメット関係ないよなあ、と思い、借りるのをやめた。とにかく少しでも軽い身で「剣が峰に立つ!」 僕はそこに照準を合わせることにした。

6合目。富士山安全指導センター。ここでデポジット2,000円でヘルメットの貸出もしてくれる。

6合目を過ぎるとジグザグの登りが 近藤さん「ここからが登山です」

振り返ると、山中湖が見える。ガスも徐々に晴れてきた。ちなみに、5合目に着いた時からすでに雲の上だ。

雨が上がり、ダブルレインボーが! 幸先いい! 

岩場を登っていくと、泊まる山小屋、東洋館が見えてきた。

17:30(出発して4時間) 東洋館着

改装したばかりの、きれいな山小屋。ツアー客の中には、富士登山2回目の挑戦の女性もいて、このHさんは、前回の山小屋での睡眠がすし詰めでしかも隣が男性だったために、全く寝られなかったそうだ。あげく、本八合目の山小屋でもうギブアップとなったそう。

僕はというと、実は、山小屋についた時点で、またもや頭痛がする。

やばい、、、

標高0mでは約1013hPa1気圧)それが10m高くなるごとに約1hPaずつ下がっていく。富士山5合目は標高2,400m、ここ東洋館は約3,000mなので、今は約700hPaと、地上の7割の気圧ということになる。明日行く頂上では6割くらいに下がる。ちなみに富士山は、高山病が起こり得る日本で唯一の山だそうだ。

レンガの外観にきれいなウッドデッキ。トイレ(写真中央)も広く清潔。全室個室。食事はおいしい。初「山小屋」は、自分の中の山小屋イメージをすべて壊してくれた。

近藤さんは「1日目は身体を高地に慣らすハイキング。2日目は鼻歌まじりに頂上にのぼって、お鉢めぐり、下山の足を残しておくんですよ。」

1日目の4時間は、20分に1回くらいずつ休憩・ガイドを入れてくれ、終始リラックスして皆でしゃべりながら楽しく進めたと思う。頭痛という爆弾を除いては、何の心配もない。そして、この頭痛に対しても、自分なりの秘策を後で試すつもりだった。

 

18:15 夕食

4人テーブルを囲んだツアー客は、Oさん含めそれぞれが1人で参加した人たちだ。ここ東洋館の名物でもある「おいしい生ビール」をプハーする。パイプ洗浄や温度管理など完璧で、下手な都会の居酒屋で出てくるビールよりもうまい。でも、なんか酔わないな、、、高地だと回りが早いと聞いていたが。たぶん、翌日が本番という緊張なのだろう。

夕食のけんちん汁定食。身体がたんぱく質を欲しているのか、ハンバーグがたまらなくおいしかった、プハーは一杯でセーブ(笑)。このようかんがたまらなくおいしく、ツアー客皆で「しみるね」と言いながら食べた。

夕食を終えると、山小屋内が消灯されたりして、20時から、小屋全体が睡眠モードに入る。人によっては深夜に出発して山頂を目指す人もいるから当たり前なのが、僕は敢えて20時ではまだ寝なかった。早く横になりすぎてしまうと、寝れずにつらくなってしまうので、22時までは外の夜景見たりとか荷物整理をしたりして過ごした。気圧に身体を慣らしてから寝たほうがよいというのも見たことがあるし。

さて、22時に個室の寝袋にくるまり、秘策・・・そう、睡眠導入剤を飲んだ。

富士登山本番! ①第1日(ツアー集合まで)

2023年8月17~19日、約1年間の準備を経て富士登山へ行ってきました! 練習登山の成果や周到な準備のせいか、僕にしては珍しく大きなドジもなく、やりたかったことすべてやって帰ってきました。ただの個人的な記録なのであまり得るものはないかもしれませんが、富士山に少しでも興味ある人は、雰囲気だけでも感じ取ってもらえるとうれしいです。5回に分けてアップします。

 

■なぜ富士登山?■

これについては、以前のブログ(https://terryspub.hatenablog.com/entry/2023/05/06/131840)でもふれたとおり、昨年の父の死をきっかけに、やりたいことをやっておこうという気持ちから。登山前には父のお盆の墓参りをして「行ってくるぜ!」と言っておいた。父は若いころは登山をしていて、母とは登山仲間として知り合ったらしい。遺品整理の時に「日本百名山」の本や、古いリュック、登山靴なども出てきた。家族で高尾山や静岡の達磨山に連れて行ってくれたりして、山の楽しさも伝えようとしてくれていた。ところが兄弟3人、誰も登山に目覚めないままだった。

僕は、頑固者の父のことを、生涯理解できない部分もあった。父は富士山には登ったことがないようだが、今回僕が富士山に登ることで、山好きだった父のことを多少理解できるかな、とも思っていた。

 

■出発前夜まで■

今回、富士登山に当たって、不安だった要素は3つ。「体力」「天気」「高山病」。そのうち、「体力」は練習登山で少し自信をつけた。「天気」は、台風7号が去った翌日が出発日で、この上ない条件。僕は今までグアムで台風で延泊とか、富士山がででーんと大きく見えるホテルに1泊したが、台風で1回も見えなかったなど、雨には祟られてばかりだが、今回ばかりはコイツの気合はハンパないなと神様も許してくれたらしい。

さて、そうなると残る心配は「高山病」だ。僕はこれに対しても、できるだけの対策をしてきた。

まず、高山病に効く薬、というのを徹底的に調べて、漢方薬も含め、それらすべてを入手した。ただしこれらはいずれも利尿効果がすごいということで、高山病で倒れて山小屋で寝込む羽目になったら使うつもりでいた。

高山病予防としてよく言われるのが睡眠、水分、深呼吸、高度順応、だ。本当は前泊して5合目の標高に身体を慣らすのがいいのだろうが、ツアー自体が2泊なので、そこまでは時間がとれないな、とツアー集合時間の3時間前に着き、深呼吸しながら水分を沢山とろうと決めた。さあ、あとは睡眠だ。

僕は生まれてこの方徹底した夜型で、ここ20年くらいは2時に寝て8時に起きる生活だった。富士登山の日は4時起きなので、3か月前から生活時間を徐々に早めていき、ツアー1週間前は睡眠時間を22時から4時にした。僕は、夜ビールを飲むと宵っ張りになり、「早く寝る」という行動が、どうあがいてもこの20年できず妻に呆れられていたのに、人間、目標ができるとやっぱり変わるものですね。もう22時になったら、ちゃんと眠くなるように変わっていった。もし寝るのが22時を過ぎてしまうなら、その分富士山が遠のく気がして、21時30分くらいになるとソワソワするようになった。「すごいね、富士山のパワーって」と妻。そして、睡眠のために、もう一つ秘策を持っていた。

ついでに書くと、僕は夏休みの宿題は最終日にやっていたほうで、しめきりがこないとエンジンがかからない。だから、富士登山の準備も、前日の夜までバタバタやって、「あれ、忘れ物何かないかな」と心配でよく寝られない、というパターンになりそうだった。一生に一回の挑戦、そんな間抜けなことにはできない、と、3か月前から持ち物リストをGoogle スプレッドシートで作り、外出してそれをスマホで見ながら、モノを購入して消し込み、持ち物を少しずつ揃えていった。その結果、2日前には持ち物はすべてそろえ、前日の午前中にパッキングが終わるという、自分史上初めてのことが起こっていた。

自分初の周到な準備を終え、予定通り、22時に就寝した。

 

5:30 起床

ここ1週間は4時起きだったが、当日はたくさん寝ておこうとこの時間に起床。

6:30 出発

6:50 中央道の府中バス停に到着

中央道府中バス停

7:10 高速バス出発

練習登山した山々が見えるように左側の窓際をとった。アプリ「AR山ナビ」越しに見た。お世話になった奥高尾の山たち、本番へ行ってきます!!

隣の席になったベラルーシ人の若者(男性・横浜在住)は、9:20に五合目に着いた後、頂上まで行って、19:40の帰りのバスまでに下りてくるとのこと。富士山の標準コースタイムは登り6時間(6.8km)下り4時間(7.0km)だから、全く休憩なしのぎりぎりの時間だ。「弾丸じゃん!」って言ったけど「ゆっくり登るから大丈夫」とのこと。いや、ゆっくり登ると帰りに間に合わない時間なんですけど・・・でもその彼からは、当日20時くらいにLINEが来て、無事に山頂まで行き、高山病にもならなかったそうだ。

練習登山で2回行った奥高尾の小仏城山

9:20  吉田口5合目に到着 

5合目についたら寒いって聞いていたけど、この日は20度以上はあったと思う、半袖が多かった。さっき書いたとおり、昨年9月、準備の一環として、せめてこの標高2,400mに身体を慣らしたいと、富士吉田に家族で泊まり、次の日にここに来ようと思ったが、富士スバルラインが霧に包まれていて、断念した。なので、ここにやっと来られただけで感無量・・・

吉田口5合目。写真奥が登山口。売店兼レストランが左に3軒、右に1軒ある。

さて、最初に富士山の神様にお参り。937(承平7)年に、小御岳山の山頂に創建された神社。小御岳山は、マトリョーシカのように4つ重なっている富士山の先祖たちのうち、一番最初に形成された山だそうだ。これがちょうど今の富士山五合目付近に当たるそう。まさに富士山のご先祖様が祭られている神社、ということだ。

御嶽神社「無事に登らせてください!!」

祭の法被を着た人がいたので聞くと「今日8/17は例大祭で、コロナでできなった年もあったが、今日は4年ぶりにやるんですよ」。「!!!」こんな日に出発できるなんて、なんだかいい予感。

ここで担がれる神輿は、日本一高い標高(約2,400m)で担がれる神輿とのこと

高地順応のために早めに着いたのでツアーの集合まで2時間半ある。4軒ある売店を回り、ビールをチェック! うち3軒で売っていた。ここは「五合園レストハウス

ここは「みはらし」。隣の「こみたけ売店」にもあった。「富士桜高原ビール」は、去年シルバンズに飲みに行ったな。

ランチは「富士山カレー」とかはやめておいて、野菜を多く摂っておこうと「五号園レストハウス」2Fで中華丼を。

ランチ中、少し頭が痛い。や、やばいいきなり高山病?

水をがぶ飲み、そして深呼吸。

 

さて、ツアー集合の前に、このツアーを選んだ理由を説明しておきます。

 

妻子に富士山登山を拒まれたので、今年5月ごろ、ならばツアーでと、自分の登りたいスタイル(っていうとかっこいいけど、自分の年齢と体力でも登らせてくれる)のツアーを探した。

【探したツアーの条件】

■登山ルート吉田ルート 北側から登る、山小屋が最も多く、初心者向きのルート。登山者の60%がここを選ぶ。ここの次にメジャーな南側から登る「富士宮ルート」も、駿河湾とかの海を見ながら登れるし、登る高低差が少ないので惹かれたが、東京・府中の我が家から見える富士山は吉田ルート側。いつも見ている富士山側を登りたかった。

fujisan-climb.jp

■ご来光山頂から見なくていい。山頂からご来光を見るためには夜中に山小屋を出発して、ヘッドランプを頼りに3~4時間暗闇で登る。渋滞も起こって進めず、ご来光に間に合わないことも。寒い。いいことない。ご来光は泊まった山小屋から見れば十分。見え方は山頂とほぼ変わらないとも聞く。山頂までの最もつらい道は、明るいときに登りたい。ところが、ほとんどのツアーが、真夜中出発。僕は30種くらいのツアーを調べたが、この条件により9割は候補から外れた。

■山小屋個室。登山は睡眠が基本と聞く。大部屋で雑魚寝なんて、翌日寝不足で高山病になれ、と言っているようなもの。この条件も外せなかった。10位ある吉田ルートの山小屋は、昨年まではコロナのため臨時に簡易個室にした所も多いが、それらは今年は元に戻す所が多いもよう。調べた限り、今年個室がある山小屋は3、4軒しかなかった。

■催行人数少人数。ここからは贅沢な条件だが、どうも大勢がゾロゾロ行く感じは、他の観光地ならまだしも、登るペースや休憩がまちまちな登山にはそぐわない気がしていた。もちろん、吉田口5合目とか6合目からは山小屋とか山頂までそれぞれのペースで行く、というツアーもあるが、これだと、ガイドが受けられず、「あそこに見えるあの山は何ですか」「あとどのくらいで着きますか」など聞けない。やはりこの条件で、ほとんどのツアーが脱落。

■日程:自分の仕事との調整で、いいな、と思ったツアーでも、仕事の都合で申し込めない、ということもあった。

・・・ということで、調べた全部のツアーが脱落! もはや僕のこだわりを叶える方法は、個人のガイドに、プライベートツアーを組んでもらうしかないのかな、と思い始めたとき・・・このツアーを見つけた。富士山の専門家、近藤光一氏が主宰する、8~10名の小規模ツアーだ。

www.fujitozan.jp

ここでは、1泊のツアーと、それよりもさらにゆったりとした2泊のツアーを年に数回ずつ組んでいた。

1泊のツアー:1日目は山小屋泊、2日目の朝ご来光とともに山頂へ出発、その後下山して17時頃に5合目へ帰ってくる。

2泊のツアー:1日目は同じ。2日目は山頂まで行って、その後、同じ山小屋に戻って泊。3日目に2回目のご来光を見てから下山開始して、10時に5合目着。

1泊コースでも十分、他のツアーに比べたらペースをゆったりととっていて、こっちで行けそうな気もしていたが、ツアーの事務所に電話して、自分が登山初心者であること、去年腰椎椎間板ヘルニアをやったことなどを相談した。親身に考えてくれた末、「ゆったりと登れる2泊をお勧めします」とのこと。まあ、そこまでする必要はないような気もしたが、僕は今回どうせ登るなら、頂上に着いた後、火口を90分で1周する「お鉢めぐり」を絶対にしたかった。その途中、山頂郵便局で家族に手紙を出し、日本で一番高い場所「剣が峰」に立ちたかった。「お鉢めぐり」を最優先、と考えると、念のため、と2泊にしておいた。

ツアー集合場所の「雲上閣」 ここは宿泊施設+売店+食事処 

12:00 ツアー集合

このように、ほとんど必然のように出会えたこのツアーの集合。売店3Fの一部屋の中で、参加する8名の自己紹介と、富士山専門ガイド・近藤光一さんによる懇切丁寧なガイダンスがあり、この時点で相当いい予感。今日の自分のリュックは10kgとヘビーだったので、ガイダンスを受けて少し減らそうと、思い切って、予備の帽子とか重いゼリーなどは置いていくことにした。これで500gくらいは減ったと思う。この数100gの差が登山では大きいのだ。

最終的に荷物を整理し、登山口に向かった。ツアー客の他の人の名前はすぐに覚えたものの、うまく協力しながらやっていけるのだろうか、という不安もあった。

富士登山前の練習ラスト! いよいよ「山の男」の境地に(?)

さあ、富士登山練習登山、本番は8月中旬なので、今回の練習登山が最後になるだろう。今回の目標は、天気予報が夕方から雨だったこともあり、「山の男になる=早い時間に行動する」昨日立てた計画は「5:00起床 5:30出発⇒7:53千木良バス停で登山開始 9:30小仏城山で「朝食」11:00に景信山で「昼食」13:30 小仏バス停で「プハー」だったが果たして・・・

撮影したのは9:30! 計画通り。今までは、午前中に山頂に立ったことはなかった。

北側に降りるつもりだったため、南側から登ろうと(僕は、飽きっぽいので同じ道を歩くのが好きじゃない)、JR中央線相模湖駅からバスで登山口まで。(地図は末尾に掲載しました)

バスで5分乗った「千木良(ちぎら)」というバス停

城山まで2.5km 

この、千木良から小仏城山までの登りが、今までの奥高尾の登りの中で、一番好きだった。半分は緩やかな階段、あとは急坂か比較的平坦な道で、尾根もある。変化に富んでいて、負担がちょうどよく、陣馬山の南からの登り同様、森林の中を歩くので、直射日光を浴びることもほとんどない。今日も気温30度以上なので、暑いことは暑いし、風もないので汗はダラダラだが、耐えられないほどではない。秋とかに来たらもっといいんだろうな。

というわけで、1回目の練習登山以来の小仏城山頂上。あのときは夕方3時過ぎにへとへとで着いたが、、、頂上から見えるこれが高尾山。右斜め前方が八王子市街地や多摩川下流方面、我が家方面。奥高尾の山頂からはどこも「関東平野」を実感できる。

茶屋が3軒。東京都神奈川の県境なので、建築申請の基準が異なるのか、建物も違うらしい。

山頂で大休止をした後は、ひとまず小仏峠を目指して出発。前回油断して呑気に自撮りなんかをしていた休憩スポット。今日はさらっと通る。

はい、小仏峠に着いた! ここは甲州街道がこの山道だった時代に、要所だったらしい。

へえ、明治天皇もここで休憩したんだ。。。前回は、余裕なく、気づかなかった(笑)

ここ小仏峠からの眺望もけっこういい。

本当は、ここから景信山まで行って、「奥高尾縦走」をつなげておきたかったのだが、まもなく雨が降るという予報で、神奈川の丹沢あたりは完全に雨雲で埋まっていた。このあたりは土砂降りだと道がぬかるんでひどくなるときいていたので、富士山前に無理することはない。それにここから小仏バス停までは、前回、1時間に1本のバスに間に合わせるため、2.8キロを慌てて40分で走った道。

terryspub.hatenablog.com

今日くらいは、じっくりと下りたかった。というわけで、まだ11時というのに、下山を決める。ああ、山の男っぽいなあ。いいなあ(意味のない自画自賛

小仏バス停まで1時間以上かけてじっくり下る。途中、沢や川があり、せせらぎに癒される。バス停のビール屋さんも、今日は雨予報なので休みということがわかったので、煩悩が減り、ゆったりした気持ちに(笑)

このあたりは、昔は甲州街道だったりしたので、「東海道自然歩道」という、大阪までつながっている自然歩道らしい。

http://www.tokai-walk.jp/

東海自然歩道は、八王子と大阪・箕面を結ぶ1都8県2府に及ぶ全長1697.2kmの自然歩道で、長距離自然歩道の第一号として誕生しました。」

(C)Google MAP 小仏峠から景信山は今日行けなかったので、ここだけつながっていないが、また今度だな。。。(ピンクの「未」のところ)

 

■練習登山のまとめ(上記はざっくりとした矢印です)

①5/6 高尾山(稲荷山コース)~小仏城山 バスを逃しそうになって最後走る

②5/28 景信山 ピストン 出発が遅れ、小仏バス停のビール屋まで走る

③6/18 陣馬山 ピストン 出発が遅れ、景信山までの縦走あきらめる

④7/23 陣馬山~景信山 念願の縦走。小仏ビール屋までの道を急いだために激しく転倒

⑤8/6 小仏城山 朝9:30には山頂、12:00には小仏バス停 初めて大きなミスなく終了

※各日とも、装備は10キロ以上で、特に⑤は14キロだったが、この重さにも慣れた。

いろいろ奥高尾の山からは教わった。ありがとう!!

本番も頑張りまっす。富士山終わってからも、もっといい季節に、気楽に家族で来たいな~