週末はWan・Can・Run!

イギリスのパブ・ビールにはまって本まで出してしまったが、娘が生まれてからは、飲みに行くとツマの冷たい視線が来るようになり・・・娘がパパから離れていく頃、念願のワンを迎えて、リュックに缶ビールを忍ばせて週末あちこち散歩の日々。イギリスを始めとするパブ情報のWebページはhttp://terryspub.nobody.jp/に引っ越し、休眠中。イギリスでのパブ旅については、こっちのほうに仮にアップしています。https://terryspub2009uk.hatenablog.com

【番外編】ITパスポート試験「五十の手習い」の結果は・・・

ITパスポート試験。ほんの3年前まではそんな試験まったく知らなかった。その試験を受験するまでを、簡単に書いていきます。試験に興味がない人には無意味でしょうが、「四十の手習い」ならぬ「五十の手習い」に奮闘する様をほほえましく見ていただければ幸いです。m(_ _)m  ←今回は昭和の絵文字多発

今となっては、この試験をどうやって認識したのかは覚えていない。おそらく、会社の同僚とか周りで「ITパスポート合格したよ」みたいな話をちらほら聞くようになって、何んとなく認識をしだしたのだと思う。

 

自分とITの出会いは、おそらく2000年にノートPCを初めて購入し、パブの本の出版企画を提案するために自分のホームページを作ったことだと思う。ディレクトリ、HTML、FTP転送、通信プロトコル、、、、、などの用語はやたら目にしたが、根本的な意味はよく分かっていない状況だった。

 

今の会社に来る前は教員や出版社だったために、PCのソフトはWordくらいしか使う機会がなく、今の会社(教育産業)に来てから、初めてExcelPowerpointAccessなどを使う機会が出てきた。「え? If関数って何? Vlookupってどうやるの?」そんなことを手探りで繰り返してきた。

 

社会人になってから30年、今の会社に来てから20年。

2年前のある日、自宅に近い駅前で、テレビ局のインタビューに声をかけられた。「今、何か取りたい資格ありますか」

僕はそこで「ビール検定」とは言わず、なぜか口をついて出てきたのが、、、

 

うーん、ITパスポートですかね。

 

え? 言ってから自分が驚いた。俺ってそんなこと思ってたの??

そのインタビューはオンエアされなかったと思うが、自分の中ではその日からその言葉がずっとオンエア状態。。。

 

その1年後。2024年3月。

上司に「じゃ、このプロジェクトに参加して」と言われて加わったのが、バリバリのIT系のプロジェクト。会議の内容は、用語の意味すら分からない。

僕は、覚悟を決めた。こりゃ、ITリテラシーを上げなきゃいけないな。自分を追い込むためにそれ系の資格をとってみよう。

 

かくして、かねてからぼんやりととらえていた「ITパスポート試験」に挑戦することにした。

www3.jitec.ipa.go.jp

ところで、そもそもこの試験は何かというと、公式ホームページによると、

「ITを利活用するすべての社会人・これから社会人となる学生が備えておくべき、ITに関する基礎的な知識が証明できる国家試験」(2009年創設)

ちなみに主催は、独立行政法人情報処理推進機構(略称IPA)でこれは経済産業省所管の独立行政法人として、IT政策の実施やサイバーセキュリティ施策を行っているところ。ITに関する多数の資格試験を実施している。ITパスポートはその中でも一番入門レベルにあたるもので、エンジニア職だけでなく事務職・営業職など幅広い職種の社会人や、学生も多く受験している。 2023年度の年間受験者は26万人を超え、うち8割は社会人、2割は学生、年代別にも、30代までの受験者が6割を占めているとのこと。最近は、学生に全員受けさせる大学も出てきて、就職の際の必要要件としても注目されている。

 

 まずは、CBT(パソコンでの受験)に慣れるのもかねて、公式ページからダウンロードできる「疑似体験ソフトウェア」なるもので、100問全部解いてみる。結果は、、、

 

40%

(合格ラインは60%。( ノД`)シクシク…)

 

まあ、勉強してないとこんなもんだろうと、どこかで集中してやればいいや、と思っていたら、GW、夏季休暇とそのプロジェクト自体の仕事で時間が取れず、気づくと2024年も12月に入っていた。おいおい、まだ俺、受けてないじゃん、と慌てて公式ページから申し込む。あらかじめ設定された何日かの日時から都合のいい日を選べばいいので、2025/1/12(日)にしておく。その次の週には「大学入学共通テスト」から始まる入試シーズンがスタートするので、また時間が取れなくなるからだ。

 

申し込んでから試験までは、まとまった時間がとれる期間は週末3回、5日間の年末年始休暇、そして試験前日の土曜日と、実質40時間くらいしかない。

 

出題内容の概要を言っておくと、ざっくり言って、以下のとおりになる。

1 ストラテジ系(財務、法務などビジネスに関する一般的な知識)・・・35問

2 マネジメント系システム開発技術、プロジェクトマネジメントなどIT開発のための管理知識)・・・20問

3    テクノロジ系(コンピュータ構成要素、ネットワーク、情報セキュリティなどITの技術に関する知識)・・・45問

以上、合格ラインは「合計60%以上かつ各分野30%以上正解」

【採点方法】

・CBT形式で、かつ人によって出題される問題セットがユニークで、採点はIRT(項目反応理論)という手法に基づき、1問1点ではなく、その問題が持つ正答率で重みづけがされる。(ということだと思う。採点方法については詳細が公表されていないので自信がないが)

・100問のうち、8問が次回以降のための正答率を算出するための参考問題で、その回の合格には関係せず、実質92問で合否が決まる。

上記のような試験で、合格率は50%と、けっこうみんな苦戦している。僕は1発で絶対に合格したかったので、以下のような作戦を立てた。

(1)社会人を30年やって、1,2の分野は一応素地があるので、一番苦手そうな3、特に100問中20問近く毎年出題される「情報セキュリティ」関連を重点的に押さえることにする。

(2)8問位出る計算問題と2問位出るプログラミング問題は、基本的には捨てる。特にプログラミング問題は、今の若い世代なら慣れ親しんでいるが、我々は全く習っていない。今から一からやるのはタイパが悪い。

※計算問題(損益分岐点とか仕事算みたいな問題)は、一応理屈は分かるのだが、暗算とかひっ算の仕方をもう忘れていて、637わる23で余りを出す、みたいなひっ算すら、手が止まってしまうありさま(笑)。そうです、僕は算数・数学が超苦手で嫌いで、センター試験で数学受けた直後、数学の教材をすぐに捨てました。

 

■タイパ大作戦 

①【年内に】頻出事項が厳選された説明本を通読。

②【12/31まで】過去問を1年だけやって、分野ごとのバランスや知識定着具合をチェック

③【1/1~4】説明本を2周目。

④【1/5】過去問をもう1年分やる。

⑤【試験までの間】不安な箇所を最後復習。

以上のような作戦を立てたが、まさか、⑤があんなことになるとは。。。

 

それでは、実際はどんな風だったかを書いていきます。

①説明本を通読

2024年3月に社内プロジェクトに抜擢されたとき、ITパスポートに関して調べる必要が出てきて、本屋に行ってITパスポート試験の参考書をすべて比べた。一番文系の僕にでも分かりやすそうな1冊を選ぶ。これは作者がUdemyという動画コンテンツも提供しているが、Udemy(有料)だけでなく、You tubeにも説明動画を多数アップしていて、その動画もこれがすごくわかりやすかったので、この1冊を購入した。

【令和7年度】 いちばんやさしい ITパスポート 絶対合格の教科書+出る順問題集 (絶対合格の教科書シリーズ) | 高橋 京介 |本 | 通販 | Amazon

このタイトルのとおり、各用語について、ただの説明ではなく、図解などが豊富にあり、各章末に説明した事項の過去問が入っていてその解説も詳しくて、なかなか使いやすい本だった。平日も週末も、自宅や電車で読み、章末問題を解く、を繰り返す。当然ながら、説明を読んだ直後に章末問題を受けるわけだから、ほぼ満点がとれたりして、なんかめきめき力がついている気になっていた。

②過去問(R6年度)

本を1周した後、最新の過去問をやってみる。これで8割とか取れていたら、もう勉強の必要ないかも、と甘~い気持ちで受けたら。。。

1ストラテジ 60%

2マネジメント 60%

3テクノロジ 50%

計55%で不合格!!

これはやばい、ととりあえず、過去問で間違った問題について、本を読み返しながら理解。

③説明本を2周目

気分よく新年を迎えるどころか、焦りの中で「合格しますように」と初日の出にお祈り。そこからほぼまる4日間。家族同士の食事会などを除いては、100%勉強の時間に。

特に情報セキュリティの箇所は、4周くらい読み、載っている用語はほぼマスターした。

情報セキュリティーだけの過去問も、Webでやってみる。いろいろあるが、下記が一番メジャーな気がした。

ITパスポート過去問道場🥋|ITパスポート試験ドットコム

④過去問(R5年度)

これで、8割くらいとれるようになっていると、安心なんだけど、と思いながら、1/5

に2回目の過去問を。( )内は前回比。

1ストラテジ 60%(±0%)

2マネジメント 85%(+25%)

3テクノロジ 60%(+10%)

結果は、70%。しかし、自信がない問題を除くと60%を下回ってしまう。。。

 ITパスポートは、1回申し込んでも、受験日を延期できる。僕はこの日の得点次第で、1/12を延期するかどうか、決めようと思っていた。この結果なら、正直言って、慎重に行くなら、一度仕切り直して、もっと多くの過去問に当たったり、受けた人から情報を聞いたりしていったほうがいいとも思った。でも、今回延期したら、仕事も多忙になって、次に受けられる4月とかには、せっかく覚えたものも忘れてしまいそう。考えた末、僕が出した結論は。。。

 

 1/6から仕事始めとなり、僕はITパスポート経験者3名くらいと話した。

今週末ITパスポート受けるんだけど、事前に7割くらいだった場合って、本番では何割くらいとれるもんなのかな?」

受けることを言うことで自分を崖っぷちに立たせたかった。しかし、皆の答えは「本番のほうが難しく感じる」とのことだった。。。

 試験まであと平日に1時間ずつ位と1/11(土)1日の合計10時間位しか残されていない。

 この期間に、よせばいいのに、僕は余計なことを調べてしまう。

 まずは、使っていた本、本当にこれで大丈夫かな、とAmazonの「評価」を見てみると、「この本は、用語をかなり絞っているので、これだけでは合格しません。」「最新シラバスには対応していない」・・・「!!!!!!!!」

 慌てて2024年11月に更新された最新のシラバスをチェックすると、確かに本には載っていない用語が加わっている。さらに調べると「最新のシラバスで加わった用語から10問位出題されるようだ」との情報が。。。(調べるのが遅い? (´;ω;`)ウッ…)

 そこから、僕のラストスパートが始まった。

 まずは、最新シラバス(Ver.6.3)で新登場した100位の新しい用語について解説した動画を繰り返し聞く。お風呂、通勤・・・(寝る前に聞くと心配で寝れそうにないので、寝る前は避けた 笑)

 特に情報セキュリティは重点的に聞いて、新しい用語もほぼ理解できるようになった。「ダブルエクストーション(二重脅迫)」などのサイバー攻撃の種類とか、「リスクベース認証」などの対策とか。

 

 そして、受験日当日、西日暮里駅前のテストセンターに向かう。寒い中、すぐ近くの名門中高・開成学園の校門まで行き、「受かりますように」と訳の分からん神頼みをしてきてから、会場入り。30分前から受付開始のはずが、45分前に着いてしまっても受け付けてくれた。どうにも暖房が利きすぎているので、狭いトイレでヒートテックやタイツを脱いで、ちょいと薄着の臨戦態勢にしておく。今考えると、120分もこれから格闘すること考えて、こうしておいて本当によかった。

 不正防止のために、PCが置いてある試験室には、何も持ち込めない。ポケットの中のモノまで全部出してロッカーに預けてから試験室入りするのだが、ポケットに携帯とか鍵とか入れてしまっていて、注意されて、ロッカーにしまい直したりして、バタバタとしながら試験開始画面をクリックした。ちなみに周りは2,30代の若者だらけ。

 初めの2問、いきなりシラバスにも過去問にもないような用語が出て、焦る。「落ち着け、これはきっと採点されない問題だ」そう言い聞かせ、事前に考えていたとおり、初めに解けるものを解ききってから、あとから解けなかった問題を粘る作戦。制限時間120分で、まず75分間でひたすらできる問題を解き終える。この時点で20問位残し、しかも解いた80問位のうち、正解の自信があるのが7割くらい。つまり、この時点で、わずかに合格点に達していない。

 ここで、事前に考えていた通り、呼び出しボタンを押して、トイレに行かせてもらう。洗面所で一息ついて、ついでに水道水も飲んで(試験室では飲食禁止)、リフレッシュしてから試験会場に戻る。

 再びPCの前に座り、ふうと息を吐いて、そこから残りの20問と格闘を始める。計算問題にもいちおう挑戦し、最も近いと思う番号を選んでおく。後から覚えている限りで答え合わせをしたが、最後のこの20問からは2、3問しか正解にできていない。

 残り時間は刻々と120分に迫る。よくこの試験60分位で終えて退出した、なんて話を聞くが、僕は今、途中退出なんて怖くてできない。

 試験終了まで粘りに粘って考え続け、「試験終了」ボタンを押す。すぐに結果がPC画面に出るのを知っていたので、怖くて目をつぶる。

 

ナンカ、アトイッポデダメダッタキガスル・・・

 

何で、受けること会社の人に言ったんだろう・・・

 

受験料7,500円かあ、妻に怒られるかな・・・

 

えーい、ままよ。

 

パッと目を見開いて

 

画面見ると、

 

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

    ↓

 

「70%」で合格!!

 

キタ  (≧∇≦)b  ーーー!!!

 

試験後は、合否によらずどこかビール屋にでも寄ってから帰ろうと思っていたのだが、なんだかヘトヘトだったので、直帰することに。

 

それにしても、結果はストラテジ70%、マネジメント77%、テクノロジ62% とあれだけ情報セキュリティやったのに、思ったような問題が出ず、テクノロジの点数が伸び悩んだ。しかし、おそらく新シラバスに登場したての用語は、次回用の8問の問題に入っていたのではないか。だから、それらがまったくできなかった自分でも合格したのでは? 

 

今、申し込んでから合格までの自分を振り返ると、確かにタイパのよい準備はできたと思うが、要領がよかったとかではなく、泥臭く、久しぶりに真剣に机に向かうという「努力」の成果だと思う。そして、今までおぼろげだったITに関する知識がぐっと身近になった。30年前から言葉だけ知っていた、「プロトコル」とかの用語が、ようやく自分のものになった感じ。そんなにすごく専門的な用語・理解は問われないので、入門的に受けるにはちょうどよいレベル感だったとは思う。

一夜漬け過ぎて、今後どれだけ定着するか分からないが、少なくともあいまいだった用語が輪郭を持ってすうっと脳の引き出しに入ってくる感じは、たまらなく面白かった。

 

さあ、次は何の資格試験を受けようか、なーんて、思ってしまっている単純な自分がいます(笑)。今度はビール検定なんかいいな。

 

と、意外と大変だったが、意外と収穫も多かった「五十の手習い」の話でした!

  ( ー`дー´)キリッ

 

追 後日談として、合格した後は、会社の例のプロジェクトでも、使われている用語の意味が分かるようになり、やっと一人前のメンバーになれた気がした。

20年ぶりの「ハイキュー!!」ならぬ「老朽」。。。

副題としては、「何でそれが好きか、思い出した瞬間。

 

 自分とバレーボールの付き合いは、相当古い。確か小4のとき、母親がやっていたママさんバレーの付属チームみたいな小学校のクラブで始めたのがきっかけ。

   小学校の背の順では前から2番目位だった私が、中学校ではバレー部に入り、3年生ではキャプテン、エース、セッターを兼ねていた。でも部員も少なく、弱小チーム。それでも副キャプテンとは毎日熱く、どう部活を運営するかを語りながら学校の帰り道の駐車場で数時間議論したり、そして自分自身が将来は全日本チームに入るかも、と思っていた(ああ、アホ)。

 高校も、何の迷いもなくバレー部に入るが、ようやくそこで現実を知る。まず、アタックをバシバシ打てていた中学のネットの高さは2m30㎝。高校ではそこから一気に13センチ上がった2m43㎝(国際試合と同じ)。身長175~180㎝中心の部員の中で、160㎝台だった僕は、レシーブを強化するしか道はなかった。今ではリベロというポジションがあるが、当時はそんなものはなく、背が低くアタックの戦力にならない選手はベンチで待機で、試合の流れを変えたいとき、レシーブを強化したいときに、出場するという役回りだった(それをピンチレシーバーと呼んでいた)。部活の練習時間は長く、授業前、昼休み、放課後、週末(練習試合)にすべて練習で、合宿では、吐くまで対人レシーブとかトレーニングで、気力・体力の限界までやっていた。それを経験しているからこそ、社会人になってから辛いことがあっても「あんときの合宿以上は辛くない」と思えている。大げさではなく、高校時代は恋愛とか遊びとかよりも、バレーボール中心の生活だった。ちょうどベンチ入りの数12人が同期の部員で、このメンバーで関東大会を目指したが叶わず、引退の時は皆で泣いた。。。

 大学では体育会系ではなく、同好会のほうに入り、合宿とか飲み会とかで遊びながら、皆でバレーボールを楽しんだ。「勝ち」にはこだわらないので、アタックも打たせてもらったりして、高校時代にはかなえられなかった「スタメン」をやれたりして、総合的には、大学時代が一番バレーの技術は高かったし、楽しんだと思う。

 社会人になり、教員時代にはバレー部の顧問をやり、教員をやめてからは、社会人の集まるチームを見つけ、月に1回くらい男女混合の試合形式で遊びとして続けた。そのチームは在日外国人も集まるチームだったが、日本人・外国人問わず、そこで知り合った友達と今でもつながっている。それだけでなく、中学のときの副キャプテン、高校の部活のメンバー、大学のサークルのメンバーとは今でも、そしてこれからも一生つながっていくと思う。

   以上が、11~30歳くらいまでの、私とバレーボールの縁だ。

 

 それから20年以上、なぜかバレーボールをやることはなかった。子育てや仕事で目まぐるしかったこともあるが、「もう若くないから、無理だ」と思っていたこともある。

ところが、今年、パリオリンピックで、男女ともに金メダルの可能性も秘めた試合を観戦しているうちに、、、今更ながら「ハイキュー!!」を読んでいるうちに、、、

どうしても、またバレーボールがしたくなってしまった。

ハイキュー!! 全45巻」も今更ながら、パリオリンピックをきっかけに読み始めた

 住んでいる地域で、同年代でまったり楽しんでいるチームってないかな、と検索したが、全然出てこない。自宅から徒歩3分くらいのとこに市営の体育館がある。そこで月に3回バレーボールコートを個人開放する日があることを知り、まずはそこでボールの感触を思い出すことにした。

写真下の方、18~21時に「バレーボール」 

 というわけで昨日の8月16日(金)、会社の休みをとって体育館に行く。実は、直前まで、やっぱりやめておこうかとも迷った。会社の同僚で、最近久しぶりにバドミントンをして、アキレス腱を切った人がいた。「今日は、まず感覚を思い出すだけ。怪我だけは絶対にしない」という、ものすごくベーシックな目標を強く決めて、開放時間は18~21時だっていうのに、張り切って30分も前に着いてしまったので、入念に手にテーピングを巻く。20年ぶりなのにテーピングの巻き方はしっかり覚えていて、自分は左人差し指に高校時代の怪我の後遺症があるので、そこを中心に巻く指はいつも決まっていた。全然記憶を手繰るまでもなく、どの指にどう巻くかを、自分の手が勝手にやってくれた。

この写真をとって、自分の手のおじいちゃんぶりにショック。。。(笑)

 さあ、それじゃ、ボールを触ろう、と体育館の係の人に貸してください、というと「すみません、今4号ボールしかないんですよ」な、なにー小学生用のあのボール? って一瞬思ったが、20年ぶりにやるんだから、また初心者からやるつもりでちょうどいいかもしれない、とそのボールを借りて体育館に入る。

最初は4号ボールでも重く感じた

 もしどこかのチームで占領されていたら困るなあ、試合に混ぜてもらっても無理して怪我してしまいそうだし、と思っていたが、昨日は台風が来ていたこともあり、その日は延べ8名くらいしかコートを使用しなかった。

 壁に向かって、投げる、トス、レシーブ、スパイクの壁打ち、と個人練習を1時間くらいやった。最初は、ボールが全然言うことを聞かず、こりゃ今日は練習じゃなくてリハビリだな、ひょっとしたら、このままボール感覚を思い出さずに今日終わるんじゃ、、、そんないやな予感も持ちつつコートを見渡すと、コート内では高校生らしき男の子がひたすらジャンプサーブの練習をしている。そのほかは遠目に社会人らしき男性が2人、個人練習をしている。「頼むから、誰も僕に『対人レシーブやってください』なんて言わないでくれよ」と願いながら、壁打ち練習をしているうちに、大分ボールが思うように動いてくれるようになってきた。オーバートスなら100回以上連続、アンダーなら50回、スパイクなら30回と、ある程度壁打ちを続けられるようになってきた。だけど、脚の方が全然弱っていて、昨夏富士山登る前に鍛えたハムストリングスとかはもうすでにぶよぶよだし、壁打ちしながら軽くジャンプするだけで、ふくらはぎがつった。最盛期は垂直飛び70㎝近く飛べたが、今は30㎝くらいしか飛べない気がする。

 よし、今日はボールに身体を慣らしたところで、後日5号ボール(国際試合の企画ボール)を買って、次回はそれに慣れて、誰かと対人レシーブやれるのは3回目くらいだな、でもそこまでたどり着けるかなと、今日はそろそろ上がろうと思ったとき、、、

「対人やりませんか」と社会人男性の一人(Aさんとしよう)が僕に声をかけてきた。見ると、僕と同年代位の感じだが、膝サポーターとかもして、いかにもバレーボーラーって感じだ。「あ、いや、すみません、今日20年ぶりなもんで、たぶんうまくできないと思うので、あの高校生とかいいんじゃないですか?」などと勝手に高校生にふってしまう。まもなく、Aさんと高校生はバシバシ「対人」を始めてほっとする。ちなみに「対人(タイジン)」とは、二人一組でキャッチボール、パス、レシーブ、時にはアタックを打ち合いながらラリーを続ける、ウォーミングアップでも練習でも、最もポピュラーな練習法だ。

 さ、本当にこれで帰ろう、と首の向きを変えると「あの、、、よかったら、僕初心者なんですけど、対人やってもらえませんか」と、もう一人の社会人男性(Bさん)がニコニコしながら声をかけてきた。見るとBさんも僕と同年代で、Aさんに比べたらバレーボーラー感は少ない。

・・・いっちょ、やるか!

 意を決して、Bさんと対人を始めた。キャッチボール、パス、レシーブ、アタックと進む頃には、自称「初心者」のBさんと同じくらいの感じで、僕も対人練習を続けることができていた。聞くとBさんも、初心者というよりは僕と同じ久しぶりのバレーで今日は3回目ということで、お互い、正面に来たボールだけを処理するようにして、遠くのボールには手を出さないようにしていた。アキレス腱、アキレス腱、、、

 30分くらいやって、さあ、もう完全に今日は終了! と思ったら、Bさんが、「あの2人にもお声がけしましょうか」とニコニコしている。もしや、試合形式になるのでは? と心配したが、どうやら2対2の「対人」をしようということらしい。始まった。2人と2人で向かい合って、パス、アタック、レシーブなどの「対人レシーブ」を続ける。1外1の対人よりも、ボールに触る機会が半分になるので、体力も消耗しない。まさにリハビリに打ってつけの練習法だった。

 体育館に入ったのが18時、Bさんとの対人を始めたのが19時、4人対人を始めたのが19時30分、そしてこれがローテーションをしながら20時過ぎまで続いた。

 「はい、取ります!」「そっち、お願いします」「ナイスレシーブ!」「あ、ごめんなさい、横にそれた」声を掛け合いながら、時には10回以上もラリーが続いた。

 やっぱり、一人で壁打ちするより、リハビリが早いし、何より楽しい!

 そのとき僕は、何で今までバレーボールが好きだったのかを、完全に思い出した。楽しいからだ。ひとりで黙々とする練習も必要だが、それを踏まえて、みんなでする練習、試合、、、レシーブ、トス、スパイク、、、これがつながったときが何より楽しいし、自分一人ではできず、複数で協力しながら楽しむ。。。そんな楽しさに憑りつかれたからこそずっとバレーボールをやってきたんだな、と思い出した。

 

 4人対人に疲れると、最後は高校生がスパイク練習をしたいというので、高校生以外の3人はトス出し、トス、レシーブの3ポジションに入り、ひたすら彼にスパイク練習をしてもらった。3ポジションを3人の同年代でローテーションした。

 そんなこんなで、当初1時間で切り上げようと思ったが、まるまる3時間コートにいた。レシーブした腕はパンパン、トスで指も痛い、ふくらはぎはずっとつりそう、と身体は辛いが、心は大満足。

 まだバレーを始めて4か月というその高1生に「君センスあるんじゃん。これからもがんばれよ」と皆で声をかけ、同年代3人は「同年代のチームの情報があった交換し合いましょう」とLINE交換して、それぞれ台風のなか帰路についた。

 今、筋肉痛のプルプルする腕でこれを打っている。これから、5号ボールを買って、シューズ、サポーターを買って、脚を鍛えて、、、どんなにリハビリを重ねても、「ハイキュー‼」の主人公の日向翔陽のように、高くジャンプしてスパイクを打てることはもうないと思う。でも、あの「楽しさ」を感じることは昔以上にできる気がしている。まあ、怪我しないように、ゆっくりやっていこう。

コートの感じも、懐かしい!

 

【番外編】娘の大学受験、やっと終わってヘトヘト。でも結果オーライ!!

まさに今日の日付「3月9日」という卒業ソングがあるが、我が家にとって、受験生一家を卒業したのは3月6日だった。2年くらいの戦い、しかも最後はみんなボロ雑巾のように。。。我が家の2年間の受験生活を超ダイジェストに書きます。今の受験方式は非常に複雑ですが、説明を入れるともっと長くなるので省きますね。

大学進学を意識させ始めたのは高1の秋。無料招待の共通テスト模試を受けさせ、その塾での面談で、大学生チューターに将来の話をいろいろしてもらった。
話しているうちに「私は国際文化学科に行きたいかもしれない」などと言い始めた。

塾を決めるなら高2のうちの早いほうがいいだろうと、3駅離れた大規模な塾か、地元の駅の個別指導か迷い、3か所回って、一人っ子でマイペースな我が子にとっては個別指導のほうがいいだろうと地元の個別指導に決めた。高2の4月から通い始め、夏休みからさっそく夏期講習で、少しコマ数を増やすなどしたが、夏に一番力を入れたのが、オープンキャンパス。時には親も一緒に回りながら各大学の入試科目や魅力をまとめたエクセル表の作り方を教えた。各大学の入試要項を自分で読み解くという習慣をつけさせたかったこともある。高2で4,5大学行き、高3でも文化祭含めて3大学ほど行った。

一番勉強したのは高3の夏。夏期講習を毎日のように2、3コマずつ入れ、復習とか間に合わないんじゃないかというくらい勉強した。私立文系に絞っていたので、勉強するのは英語、国語(漢文を除く)、日本史だった。日本史は冬期に集中することにし、夏は特に国語をやった。

オープンキャンパスなどを通じて、自分の興味ある学部を絞っていくと「社会学」とのことで、社会学部があって、近くて、偏差値的にちょうどよい大学に絞っていった。

推薦を受ける場合は高3の5月位のオープンキャンパスに参加することが必要になったりするので、高3になるまでには推薦を受けるかどうか決めておく必要がある。我々の時代と違い、今は学校の推薦がなくても自己推薦(総合型選抜)があるので、推薦の募集定員が半分以上の学部もあったりして、推薦も手段の一つとしては大きい。課されるのも作文だけとか英語もあり、面接まであり、といろいろで、準備の負担は少ないが、受験先に合わせたきめ細かい準備が必要になる。推薦を実施している学部の入学を早期に決めなければならないこともあり、マイペースな我が子には少し早すぎたようだ。塾からは推薦でチャンスを増やすことを勧められたが、学校(公立高校)の担任は「無理に受けなくてもいい」というスタンスだった。娘なりにいろいろ調べた結果、ここぞという学部はなかったらしく、推薦はやめておいて一般入試のみにかけることになった。

出願校は11月くらいに決めた。

A大学=(憧れ校)ランク高めだが、模試など見ると可能性はある。
B大学=(実力相応校)校舎キレイで華やかなマンモス校
C大学=(練習校)滑り止め その1 
D大学=(安全校)滑り止め その2(定員割れすれすれの、落ちることはあり得ないランク)
AとBは2日程ずつ(定員少なく門戸狭くなる全学部統一方式と、定員多く入りやすい学部個別試験)出願し、C→A(全)→B(全)→A(個)→B(個)  という理想のスケジュールを組む。早めに1月に練習として入試を体験させたいこともあり、共通テストも受けることにし、Aの共通テスト利用入試(前期)にも出願。ただし、一般的に、手軽にチャンスを増やせる共通テスト方式は、もっと上を目指す層がすべり止めに使うので、第一志望校の入試方式には向かない。

さあ、戦の開始。時系列に。
●共通テスト:善戦して、自己ベスト位の得点。共通テストのあのややこしい形式によく慣れたもんだ。
●②C試験:当日、受験科目数を勘違いしていたことが分かり、動揺しながら受験。国社2科目受けるつもりで家を出たが、実際は国1科目だけだったので、行ってからの待ち時間が長かった。
●C発表:まさかの黒星スタート!!   本人よりも親が動揺(😁)本当は、ここで安心して、明日からの試験を受けるはずだった。
●③A(全)→④B(全)→⑤A(個)→⑥B(個)試験。どの日も、「手応えなかった」暗い顔をして帰ってきた。
●③A(全)発表:1.8点届かず黒星、、、惜しい! ここで決めたかった!!
●④B(全)発表:試験はできたと言っていたので期待していたが、1時間大学のマイページに入れず、挙句の果てに娘「あ、不合格だ」、、、え? 自信あったのに、この結果? 暗雲濃くなる。
●A(個)発表:出来は悪かったという通り、黒。ただし共通テスト方式も同じ日に発表で、、こちらはなんと「補欠」つまり大学の想定以上に辞退者が出たら繰り上げ合格になる。しかし、いつ合格になるかは明確でなく、調べてみると、時には3 月下旬とかまで引っ張られることもあるようだ。ある意味不合格よりも苦しい。。。

そんなこんなで、ジェットコースターのようにぐわんぐわんと浮き沈みして(沈みだけか)迎えた最後の⑥B(個)の発表の日。この日曜日は、ママの誕生日も近いので、夜はママの誕生日祝いをすることになっていた。この日が近づいても、誕生日祝いのこととか、その日どこに買い物に行こうか、皆で話はするけど、誰も合格発表があることは怖くて触れられず。。。(笑) C大学(練習校)の「不合格」の文字を見てから、同じ文字を連続で見続けて、17日後。本人曰く、この日の試験は日本史で全く準備してなかった地質時代の出題があり、大問1問まるまる落としたとのこと。ここが不合格ならさらに安全な滑り止め校(⑦⑧⑨)に出願したり、3/7の卒業式休んで⑪を受験しなくちゃいけないという、ボロ雑巾がもっとボロボロになる死のロードが待っていた。
 大学の合格発表は朝10時。朝食後、僕は黙ってPCを出し、B大学のマイページを開いた。娘が見にくる。私「どこ見るの?」 娘「ここだよ、前もここだった」(震える声で) 私「え? ここ、このボタン?」。。。娘と覗き込む。そしてその文字は

 

「合格」

 

初めて見たその文字はめちゃくちゃ光ってた。

 

「うわぁああああああ、よかった~ああああ」半泣きで喜ぶ娘。「おおおおお」「やった~ああああ」両親も飛び上がって喜ぶ。みんなでハイタッチ。後でママに聞くと、私と娘は似た顔でよろこびをバクハツさせていて笑えたとのこと。

2年間の準備の末、やっと大学生になれた瞬間だった。ママの誕生日会は、娘の合格祝いも加わり、皆で外食する。「よかったね~」「つらかったね~」ママに対しては、今日の合格が何よりのプレゼントになった。ママは娘が高3になってから、何と合格するまでは美容院に行かない、という願をかけていた。これで、やっと行けるね!  それに加え、浮かれて、進学祝い家族旅行を3月下旬にすることにした。

しか~し、人間て欲が深いですよね、翌日にはA大学(①)の補欠合格の結果と、共通テスト方式の後期(⑩)の結果が気になっていた。
娘は結構疲れ果て、「私、もうB大学でいいや。いやむしろB大学に行きたい」とか言い出した。とりあえず入学金は払った(泣)。
でも、せっかく2年間準備してきたんだから、最後まで粘ろうよ。もしA大学から合格がきたらそっちにするように、さりげなく娘をリードしていく。あくまでも娘の人生だから、強要はできないが、A大学に望みが残っている以上、親としてはそれを捨てるわけにはいかない。

第2ラウンドが始まった。①A大学共通テスト方式の追加合格のお知らせは、待てど暮らせど来ない。A大学には「追加合格の結果はいつごろ出るんですか」とか電話で聞いてしまったが、当然明確な回答はない。本当に3月終わりまでにもつれる可能性すら出てきた。下手すると家族旅行の時期にまでもつれ込むのかもしれない。毎日A大学のマイページをチェックし続けて14日間待ち続け、いよいよ、明日は娘の卒業式、という日になってしまった。

この卒業式の日に、後から追加で出願した⑩A大学共通テスト方式(後期)の発表がある。娘が卒業式の朝10時にスマホをチェックするのは無理なので、ママが代わりに見ることになっていたのだが、ママが前日に、「明日ログインできるかどうか、試しにやってみようっと」と娘とA大学のマイページを見てみると。。。

 

「あれ、ここ合格って書いてあるよ。補欠だったとこ」

 

やっぱり本気の願かけした人が、一番引きがいいのだ。

かくして、結末はA大学補欠合格。もっと言うと、翌日発表の⑩共通テスト方式後期も合格(後期のほうが上の層が下りてくるので、これが今回の入試で最難関のはず)。

終えてみると、11戦するつもりで、実際にしたのは8戦。うち4勝、しかも第一志望校からは4方式受けて、2つも合格を頂くという好成績だった。しかし、そうなる前の、一つも合格がない状態の17日間と、合格したけど第一志望校の補欠合格を待っている14日間(しかも期限不明)、どちらも辛いつらいツライ戦いだった・・・。お子さんが複数いるご家庭はこれを何度もやっているのかと思うと、頭が下がる。一度で十分。

入試は、志望校を決めるまでが一番楽しかったかも。あとは、直前期に、親が外で感染症をもらってこれないプレッシャーもすごかった。本人も、親も、両方別の意味で苦しいし、つらい。それが受験。
だからこそ、それを一緒に乗り越えた嬉しさはひとしお。受験をする前よりも家族の一体感は高まったと思う。だが間違いなく、今回一番つらく、頑張ったのは娘。

さあ、娘の人生の新しいページが始まる。

 

富士登山本番! ⑤第3日(笑顔の下山)

3:30 起床

昨日、朝食の場所までお腹すいてしまったし、お昼もひもじい思いをした。その教訓を生かし、少し早く起き、昨夜支給されたパン2個のうち、1個は昨夜夜食として寝る前に食べ、1個は朝食べて、コーヒーも飲む。東洋館はコーヒーもおいしい。

5:03 ご来光

昨日と同じくらいきれい! こんなきれいなものを2日続けて見ているなんて、なんかバチが当たりそう。

5:30 下山開始

通常は、頂上から下山専用の道を行くのだが、このツアーの場合は、山小屋に戻ってくるので、下山道に一度入り、その後、登山道にショートカットした。今日は山小屋から、途中までブルドーザー用の物資の道を下り、6合目の手前で下山道に合流する。いわば、最も短い往復距離で富士登山ができる、究極のツアーだ。

近藤さんは、20分に1回くらいの休憩のたびに、ガイドや、富士山裏話や体験談など惜しげもなくお話してくれ、ただの休憩ではなく、心も満たされる貴重な時間だった。この下山が終わるのが、寂しい。

通常は水色に塗った下山専用道を使うのだが、このツアーの場合、2泊目も山小屋に泊まる都合上、緑色のように、登山道を戻っていくコース。

御来光を浴びる富士山。「赤富士」をこんなに間近で。

朝日を浴びながら下山開始。矢印が金時山で、その右が箱根の山らしい。

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6合目の手前? 山小屋たちがあんなに遠くに。山小屋の右上が頂上。もうこんなに下りてきてしまった

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7:20(下山開始1時間50分後) 6合目到着

2日前、あんなに不安な気持ちで「ここからが登山ですよ~」と言われたところに、こんなに楽に帰ってきている。

6合目の富士山安全管理センターを過ぎたあたりで、馬に遭遇。この時間は6合目まで、歩けなくなった下山者を乗せるために「出勤」している馬も多かった。

近藤さんが教えてくれた、雪の重みでこんな形になっているが、根っこからかろうじて栄養をとって生きている木。これから、この木のようにたくましく行くぞ!

もうすぐ5合目。行きは、ガスってたな、この道。このツアー、もうすぐ終わりだなんて、思いたくない!

8:20 五合目到着、解散

無情にも、ツアーは終わりを告げる。登山口のそばで、皆で輪になって、今回一番印象に残ったことを言い合う。僕は「馬の背」がきつかったことを言った。何で泣いたかまでは言わなかったが。

達成感、自信、一生の思い出、、、2日前にはなかったものをお土産に到着! 

ツアーが10時に終わる予定だったので、それからコインシャワー入ったり、お土産買ったりする予定で帰りのバスは12:30発に予約していた。東洋館から降りてくる下山道(ブルドーザー道)が7:00までに下りないといけないということで、予定より早めにご来光直後5:30に出発したので、5合目に到着したのは大分早かった。到着日8/19(土)は5合目は今年一番の混雑になりそうということで、初日にすでに高度順応の時間に5合目のお店は一通り見てしまったので、早めに退散しようと、11:00発のバスに変更した。小御岳神社で娘の受験のお守り、家族へのお土産、帰りのバス用のビールを買い、トイレの洗面所の水をタオルに浸して体を拭き、バスに乗ると、隣には若者男性が。レジ袋に空のペットボトルを何本も入れ、短パンにTシャツといういかにも「弾丸」っぽい感じだ。

バスが出発して、左側に見える富士山に心の中で礼を言い、5合目を下り(バスだとメロディポイントが鳴らない!)、高速に乗ったところで「プシュ、プハー」をして、この世で一番うまい一杯を飲んだ後、さあ、隣に話しかけてみるか、と隣を見ると・・・ワイヤレスイヤホンをして熟睡している。まあいいか、中国人で、言葉が通じないかもしれないし。

そんなこんなしている間に、12:00を回り、中央道府中への到着時間が近づく。ビールを飲んだので、着く前に行っておこうと、隣の人を起こして、トイレから戻ってきたタイミングで、「いつ来たんですか?」と声をかけてみた。するとその日本人の若者(20代)は、昨日から登って、僕らと同じ東洋館に泊まり、深夜出発して山頂でご来光を見たという。さらに聞くと、彼は昨年初めてトライして、8合目の山小屋「白雲荘」で高山病になってしまったらしい。「今回、高山病にならなかった理由は何だろうね」と聞いてみると「今回のほうがゆっくり登ったことですかね」彼は、5月に東洋館を予約したが、天候の都合で当初の日程から、今回の日程に変更し、今日下山してから40分後のこの便が唯一空いていた高速バスだったので、慌てて飛び乗ったとのこと。いろいろな偶然が重なり、僕と彼は隣り合ったわけだ。そして、僕がトイレに立たなかったら、こんな会話もできなかった。これだから旅は面白い。

彼は言った。「登山って、若さとかじゃないのが面白いですよね。去年、僕がへばっている横で、高齢者の方がゆうゆうと追い抜いていきました。」That’s right!!

5合目で購入し、帰りの高速バスでプシュ、うまくないはずがない!! 日本のクラフトビールのパイオニアエチゴビールさん製造


富士登山まとめ■
①江戸時代の富士講の人たちがそう信じていたように、富士山に登ることで「生まれ変わる」ことが目的だったが、ちゃんと生まれ変われたと思う。正確に言うと、「困難なことでも事前に準備すれば乗り越えられる」ことを経験し、今後への糧・自信になった。自信なさげだったOさんも、2度目にやっと登れたHさんもそうだったと思う。太古から霊峰と言われていたように、富士山登頂は、皆にすごいパワーを与えてくれる。
②2泊のツアーにして本当に良かった。これが1泊だったら、あんなハードなお鉢めぐりのあと、5合目までの下山に、膝が持たなかった。膝が痛くなり始めると手遅れなので、初めからずっとサポーターをしていたのもよかったのかもしれない。

③8/19に下山して、13時くらいに自宅に帰った後、夕方犬の散歩に行けるほど軽い筋肉痛で済んだ。翌日も尻、もも、ふくらはぎが痛かったが、練習登山のとき程度。最初の練習登山の1週間続いた筋肉痛よりはまし。

④よく「富士山は登る山ではなく、見る山」というが、確かに、8合目以降は植物も少なく、下界の景色も、曇っていればガスか雲海ばかり。登るのは砂利道かきつい岩場、と「歩いていて楽しい尾根・森林・絶景」というのは少ない。それでも、僕は富士山に実際に上ったほうが、富士山が理解でき、今度見るときにはもっと楽しめると思う。「登ってみてよかった」と絶対に言える。

⑤山頂を極めた後だが、今、今度は1合目から登ってみたい自分がいることに気づく。登る前は、そんなことを思うなんてまったく想像していなかった。そんな考えがもたげたのも、今回が想定よりも100倍楽しかったからだ。

・・・ということで、1年間僕の暴走を見守ってくれた家族と、練習登山に付き合ってくれたビータ、ありがとう!!

8/18(金)に山頂郵便局に投函して5日後に無事に家族に届いた手紙。消印には郵便局がデザインされていた。

3か月前の、初めての練習登山(奥高尾)で。

富士登山本番! ④第2日(お鉢めぐり!!)

近藤さん「それでは、お鉢めぐりに行かれる方は?」

ツアー8人のうち、手を挙げたのは、女性2人組(この方々は、ツアー前は1合目からの登ってきたほど健脚!)、僕、そして、、、Oさん。やった! 行けるんだ。

いよいよ、1年間目標にしてきたお鉢めぐり!

ということで山頂のトイレに寄ってから(字を大きくした理由は後で)、お鉢めぐりスタート!! 気温17度。風はほとんどなし、周りの雲にも切れ目があって景色もいい、というこの上ない条件。唯一気になるのは、お腹が減っていることくらい(笑)

静岡側の海。伊豆半島と、駿河湾か。

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道幅が30cm位しかないところもあるため、基本的には時計回りに回ると決められていているそうだ。近藤さんのペースも早く、まさにデス・ゾーンの中でのサバイバル。でも、不思議と、僕にはもう高山病にならない自信があった。

銀明水 昔は水が湧いていて、富士講の人たちが身体を清めたり水を持って帰ったりしたそうだ

ところどころこのような看板があり、勉強になる。

浅間神社奥宮 山頂郵便局 家族への手紙も投函できた!

お鉢めぐり開始後20分くらいで、山頂郵便局に着く。ここで売店もあったので、何が売っているのかな、何か持ち歩けるランチは? などと探しているときに、何気なく、ウエストポーチに入れてある財布を探したら、、、財布がない。頭をフル回転させて、最後に財布を触ったタイミングを思い出すと、お鉢めぐり出発前の、山頂のトイレだ。ああ、よかった、ならば戻れば絶対に届いているはず。僕はなぜかこれも確信して、最後の「剣が峰」に向かった。

 さあ、いよいよ、剣が峰の手前、「馬の背」が見えてきた。距離100m、起点標高3,730m、終点標高3,770mと、40mも登り、平均傾斜角度は22.2度という、通称「日本で一番きつい上り坂」だ。30年富士山のガイドしてきた近藤さんでさえ、「ここは、毎回イヤですね~」と言っている。「みなさん、止まらず、一気に登ったほうがいいですよ。僕も、申し訳ないですけど、ノンストップで行きます。」

やっと、ここに立てた。

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ふう。僕は、一つ息を吐いてから、近藤さん、女性2人組、Oさんに続き、一歩一歩登り始めた。3分の1までは普通に登れた。あれ? 今までの登山道は岩場が多かったし、しんどいけど、歩きづらいということはあまりなかったが、この馬の背は、細かい砂利道なので滑る。中腹位で、4人からどんどん遅れて、一人で足をズルズルさせて、進めない。むしろずり落ちるかも。ああ、進まない!

この登山で初めて「苦しい」と思い、下を向き歯を食いしばり、顔を歪めて、もがいていたら・・・涙が出てきた。なんでだろう。

父だ。昨年亡くなった父のことを、僕は昨日からまだ一度も思い出していなかった。でも、この瞬間に思い出し、今回の天気、条件、すべて、父がお膳立てしてくれたんだと気づいた。「お前はお前でこれからも人生楽しめ」父はそう言って、僕の背中を後押ししてくれた。親父、山、楽しいじゃん。

気づくと、僕は他の4人と同様、馬の背のゴール、3,770m地点まで上がっていた。サングラスをしていたので、他の人には気づかれなかっただろうが、僕は記念撮影待ちの列に加わりながら、そっと涙をぬぐった。

 

右端に映っている石塔の前で記念撮影のために並ぶ。多い時は100人くらいの行列になるそうだ。今日は10人くらい

へえ~ 二等三角点なんだ

ついに、この場所に立った! でも、自分一人では絶対立てなかった。

日本一高い場所から見下ろす火口

Oさんと硬い握手。あんなに心配そうだったのが、今は別人のように自信と喜びに満ちている。

お鉢めぐり再開 右に火口 左に西湖とかの絶景 練習登山で尾根歩きの楽しさに目覚めたが、ここは日本一高く、楽しい尾根

火口の中を歩くような道もある。なんか「火星」ぽい。でも「地球は惑星」ということも感じる、などとOさんと話しながら歩く。

 

吉田口山頂にもどった。やっぱり財布はトイレの管理人に届いていた。届けてくれた方、ありがとう!
さっきの売店で財布がないことに気づかなかったら、、、と思うと恐ろしい。これが今回の登山で一番のドジかな。

下山して最初の山小屋(ご来光館?)で念願のカップヌードル。言うまでもなくンマイ! 2分で完食

夢見心地で東洋館まで下山して、この食事。しみるんだよね~。昨日のハンバーグの代わりに今日はごまどうふ。

夕焼け。すべての疲れをいやしてくれる。てかぜんぜん疲れてない(笑) 食事の後、ビールを、Oさん、Hさんとともに1杯、その後自分だけで1杯。この日は、睡眠導入剤を使うことなく、22時に寝られた。もはや富士山タイムが身体にしみついている。

富士登山本番! ③第2日(吉田口山頂まで)

4:00  起床

パチリ。目が覚める。夜中に一度トイレで起きたものの、睡眠導入剤のおかげで、スムーズに寝られた。いつもどおりの時間なので、頭もすっきり。昨日以上に体調はいい!

 

5:00 ご来光

東だけでなく、360度全部の空が明るくなってきて、東方向、ちょうど山中湖の向こう側からのご来光。ああ、今日は絶対にいい日になる。

東洋館の前でご来光直前。この空の色が神秘的



5:03 ご来光 手前は山中湖 近藤さん曰く「今年で一番きれいなご来光」

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5:30 出発

さて、身支度を整えて、東洋館を出発。我々は連泊なので、不要なものを自室に置いておけたのがすごくよかった。僕はゴミ、昨日の服、多すぎた行動食、室内用スリッパ、などを置いていった。重さにすると1~2kgだろうが、それだけでも、昨日と背中の重みが全然違う! 

しかし、Oさんは、というと、、、「全然寝られなかったです。ほぼ一睡もしていない」と心配そうな顔。僕は睡眠導入剤を使った話をすると「僕も持ってきたんですけど、高山で使うと高山病が悪化するかもしれないと聞いて、躊躇しちゃんたんですよね」

・・・!!!

調べると、確かに睡眠薬睡眠導入剤を気圧の低いところで使うと、呼吸が抑制されて、動脈を流れる血液中の酸素が不足して、高山病が悪化する可能性があるらしい。今の僕は何ともなく、昨日の頭痛もウソのようになくなっている。よかった。僕の場合は、むしろ寝たことで高地順応がうまく進んだようだ。

それにしても、このことを知っていたら、僕は昨日睡眠導入剤を飲んだだろうか、、、でも、そんなことを考える暇はなく、「大丈夫ですよ、一緒に頂上行きましょう。」昨日Oさんが言っていたことと同じことを、今度は僕がOさんに言う番だった。

昨日も見てきた下界の景色だが、ここでも何度も振り返って見てしまう。右に八ヶ岳、左に河口湖が見える。八ヶ岳はやたら馴染みが深い場所で、山麓に東京都文京区の施設があり、小、中と学校行事として泊まりに行ったり、大学生では出身中学の行事の補助として参加したり、家族を持ってからは、府中市の施設があるのでそこに泊まりに行ったり。山麓から見るとあんなに雄大八ヶ岳連峰が、あんなに小さい。

河口湖畔には昨年9月家族で泊まったが、まったく晴れず、富士山を拝めなかった。今度また、あそこに泊まりに行くぞ!

赤い矢印が八ヶ岳。青が河口湖。

1時間登った山小屋の前で朝食。

朝食後、Oさんの様子がおかしい。消化で血液が胃に集中し、脳にあまり回っていないのかも、と携帯酸素を吸い始めた。「俺、たぶん途中で脱落します。すいません、足引っ張って」などと言い始めたので、「何言っているんですか! ほら、さっきの看板にあと2kmてあったじゃないですか。頂上はすぐですよ。絶対大丈夫ですよ」

Oさんはまだ40代だし、自転車が趣味で、普段から相当長いツーリングに行っているだけあって、体力・筋力はあった。僕は、昨日からずっと、Oさんと一緒にお鉢めぐりができることを確信していた。

富士山信仰の聖地、富士山天拝宮烏帽子岩神社。

8:30 本八合目(出発して3時間後)

さて、ひたすらストック使って岩場を登り、3時間してようやく「本八合目」に。ここから山頂までは、さらにきつい岩場を2時間登る。まさに「胸突き八丁」だ。

前も書いた通り、ツアー客のHさんは、前回この本八合目までしか上がれなかった。「Hさん、ここからは前回越えですね!」と皆の士気も上がる。

近藤さんは、「ここから山頂まではさらに空気も薄くなってきます。特に山頂付近は、本来1時間以上はいてはいけない、いわば『デス・ゾーン』です。いままで高山病発症していなかった人も発症したりします。」

これを聞いたOさんの顔色が変わる。「やっぱり、俺、ダメかもしれないです」

本八合目からは富士山は浅間神社の境内になるそうだ

本八合目。ここからは浅間神社の境内とのこと。二つの鳥居(赤い矢印)を抜けると、山頂。旗が小さく見える。(青矢印) あと2時間!

山小屋「ご来光館」を経由して、1番目の鳥居、2番目の鳥居。写真の上は2番目の鳥居。あそこを抜けたら、山頂まであと10分だ。

僕は、今までの、どの練習登山でも、この「頂上前のあと10分」くらいの時が好きだった。一番疲れてはいるけれど、山頂のためなら、足が前に進む。

しかも、今回は、体調、天気、ペース、メンバー、すべてがいいので、この胸突き八丁が、つらいけど、今までの練習登山よりも全然楽しかった。そして、ついに、、、

10:20 吉田口山頂

吉田口山頂! 久須志神社がある

標高2,400mの五合目で、すでに1番下の層の雲の上に来ていたが、3,710mの山頂には、やはりこの高さの雲があった。

日本一高い山頂広場

8人全員が無事に吉田ルートの山頂に!

 

山頂広場には100人以上の人がひしめき合っているが、高尾山よりは混雑していないと思う。ご来光の瞬間はもっと込み合っているのかもしれないが、少なくとも、僕はこの2泊3日で、富士山が「激込みで困った」と感じたことはない。これも、他の人とはピークをずらしたこのツアーならではだ。

 

ここで、近藤さん「それでは、ここからお鉢めぐりに行く方に申し出をしてもらいます。行かない人は山頂で食事などで待機していてください。ただし山頂にいられる時間は短いのでお鉢めぐりはハイペースになります。これからまた東洋館まで3時間かけて下ることを考えて、ここまで鼻歌まじりで来られたと思う人だけ参加してください。さあ、あと、2分位で結論出してくださいね。」

え? 山頂でカップラーメン食べられないんだ? そのつもりだった僕は、少しだけ、お鉢めぐり行かずに、残って腹ごしらえして、山頂でのんびり火口でも見て・・・と考えた。Oさんもお鉢めぐり行くかどうかわからないし。

、、、そして、近藤さんに申告する時間となった。

富士登山本番! ②第1日(山小屋まで)

13: 30 登山開始!

登山口で協力金1,000円を払い、札をもらう。意外にも(?)立体的でかっこいい札だったので、リュックにつけて登ることにした。練習登山ではここに熊よけの鈴をつけていたが。

「富士山世界文化遺産登録10周年記念」偶然にも、特別な年!

予報によると雨や雷の可能性もあると いうことでレインウエアを着て出発。
富士登山用に開発されたミズノのベルグテックをレンタルしておいた

登山口。何度もYou Tubeとかで見てきたここに、やっと立った!

この吉田ルートは山小屋(黒い四角マーク)が10もある。

30分ほど歩くと、右に分岐する。山頂まで6.0kmというと、近そうだが、、、ちょうど通ったのは何を運搬する車だろう?

近藤さんから「一番遅い人は前、早い人は後ろ」と言われて、じゃあ、僕は前の方かな、と一瞬思ったが、今回の8人のうち、男性は僕入れて2人だけ。そうなると、初心者だろうが何だろうが、やっぱり後ろになっておくべきなんだろうね、と2人でしんがりを務めることにする。もう一人の男性Oさんは、開口一番「不安しかないですね。とくに高山病が心配」と言っていた。「でも、絶対に8人全員で登頂しましょうね」と、底抜けにさわやかな人なのであった。

少し登り勾配になる。最初はこのような樹林帯。

10分ほど歩くと、ぱっと視界が開けた。ガスっていてあまり見えないが。このツアーのペースはゆっくりなので、1列になって、他の登山客の邪魔にならないように歩く。と言っても、僕はちょいちょい写真を撮るためにはみ出してしまったが。

14:30  6合目に到着

ここには「富士山安全指導センター」とトイレがある。事前には、デポジット2,000円でヘルメットを借りようと思っていたが、いざここに来ると、たぶん、500gはあるよなあ、、、そして、もし大きな落石があったら、首の骨折って死ぬから、ヘルメット関係ないよなあ、と思い、借りるのをやめた。とにかく少しでも軽い身で「剣が峰に立つ!」 僕はそこに照準を合わせることにした。

6合目。富士山安全指導センター。ここでデポジット2,000円でヘルメットの貸出もしてくれる。

6合目を過ぎるとジグザグの登りが 近藤さん「ここからが登山です」

振り返ると、山中湖が見える。ガスも徐々に晴れてきた。ちなみに、5合目に着いた時からすでに雲の上だ。

雨が上がり、ダブルレインボーが! 幸先いい! 

岩場を登っていくと、泊まる山小屋、東洋館が見えてきた。

17:30(出発して4時間) 東洋館着

改装したばかりの、きれいな山小屋。ツアー客の中には、富士登山2回目の挑戦の女性もいて、このHさんは、前回の山小屋での睡眠がすし詰めでしかも隣が男性だったために、全く寝られなかったそうだ。あげく、本八合目の山小屋でもうギブアップとなったそう。

僕はというと、実は、山小屋についた時点で、またもや頭痛がする。

やばい、、、

標高0mでは約1013hPa1気圧)それが10m高くなるごとに約1hPaずつ下がっていく。富士山5合目は標高2,400m、ここ東洋館は約3,000mなので、今は約700hPaと、地上の7割の気圧ということになる。明日行く頂上では6割くらいに下がる。ちなみに富士山は、高山病が起こり得る日本で唯一の山だそうだ。

レンガの外観にきれいなウッドデッキ。トイレ(写真中央)も広く清潔。全室個室。食事はおいしい。初「山小屋」は、自分の中の山小屋イメージをすべて壊してくれた。

近藤さんは「1日目は身体を高地に慣らすハイキング。2日目は鼻歌まじりに頂上にのぼって、お鉢めぐり、下山の足を残しておくんですよ。」

1日目の4時間は、20分に1回くらいずつ休憩・ガイドを入れてくれ、終始リラックスして皆でしゃべりながら楽しく進めたと思う。頭痛という爆弾を除いては、何の心配もない。そして、この頭痛に対しても、自分なりの秘策を後で試すつもりだった。

 

18:15 夕食

4人テーブルを囲んだツアー客は、Oさん含めそれぞれが1人で参加した人たちだ。ここ東洋館の名物でもある「おいしい生ビール」をプハーする。パイプ洗浄や温度管理など完璧で、下手な都会の居酒屋で出てくるビールよりもうまい。でも、なんか酔わないな、、、高地だと回りが早いと聞いていたが。たぶん、翌日が本番という緊張なのだろう。

夕食のけんちん汁定食。身体がたんぱく質を欲しているのか、ハンバーグがたまらなくおいしかった、プハーは一杯でセーブ(笑)。このようかんがたまらなくおいしく、ツアー客皆で「しみるね」と言いながら食べた。

夕食を終えると、山小屋内が消灯されたりして、20時から、小屋全体が睡眠モードに入る。人によっては深夜に出発して山頂を目指す人もいるから当たり前なのが、僕は敢えて20時ではまだ寝なかった。早く横になりすぎてしまうと、寝れずにつらくなってしまうので、22時までは外の夜景見たりとか荷物整理をしたりして過ごした。気圧に身体を慣らしてから寝たほうがよいというのも見たことがあるし。

さて、22時に個室の寝袋にくるまり、秘策・・・そう、睡眠導入剤を飲んだ。