週末はWan・Can・Run!

イギリスのパブ・ビールにはまって本まで出してしまったが、娘が生まれてからは、飲みに行くとツマの冷たい視線が来るようになり・・・娘がパパから離れていく頃、念願のワンを迎えて、リュックに缶ビールを忍ばせて週末あちこち散歩の日々。イギリスを始めとするパブ情報のWebページはhttp://terryspub.nobody.jp/に引っ越し、休眠中。イギリスでのパブ旅については、こっちのほうに仮にアップしています。https://terryspub2009uk.hatenablog.com

【番外編】娘の大学受験、やっと終わってヘトヘト。でも結果オーライ!!

まさに今日の日付「3月9日」という卒業ソングがあるが、我が家にとって、受験生一家を卒業したのは3月6日だった。2年くらいの戦い、しかも最後はみんなボロ雑巾のように。。。我が家の2年間の受験生活を超ダイジェストに書きます。今の受験方式は非常に複雑ですが、説明を入れるともっと長くなるので省きますね。

大学進学を意識させ始めたのは高1の秋。無料招待の共通テスト模試を受けさせ、その塾での面談で、大学生チューターに将来の話をいろいろしてもらった。
話しているうちに「私は国際文化学科に行きたいかもしれない」などと言い始めた。

塾を決めるなら高2のうちの早いほうがいいだろうと、3駅離れた大規模な塾か、地元の駅の個別指導か迷い、3か所回って、一人っ子でマイペースな我が子にとっては個別指導のほうがいいだろうと地元の個別指導に決めた。高2の4月から通い始め、夏休みからさっそく夏期講習で、少しコマ数を増やすなどしたが、夏に一番力を入れたのが、オープンキャンパス。時には親も一緒に回りながら各大学の入試科目や魅力をまとめたエクセル表の作り方を教えた。各大学の入試要項を自分で読み解くという習慣をつけさせたかったこともある。高2で4,5大学行き、高3でも文化祭含めて3大学ほど行った。

一番勉強したのは高3の夏。夏期講習を毎日のように2、3コマずつ入れ、復習とか間に合わないんじゃないかというくらい勉強した。私立文系に絞っていたので、勉強するのは英語、国語(漢文を除く)、日本史だった。日本史は冬期に集中することにし、夏は特に国語をやった。

オープンキャンパスなどを通じて、自分の興味ある学部を絞っていくと「社会学」とのことで、社会学部があって、近くて、偏差値的にちょうどよい大学に絞っていった。

推薦を受ける場合は高3の5月位のオープンキャンパスに参加することが必要になったりするので、高3になるまでには推薦を受けるかどうか決めておく必要がある。我々の時代と違い、今は学校の推薦がなくても自己推薦(総合型選抜)があるので、推薦の募集定員が半分以上の学部もあったりして、推薦も手段の一つとしては大きい。課されるのも作文だけとか英語もあり、面接まであり、といろいろで、準備の負担は少ないが、受験先に合わせたきめ細かい準備が必要になる。推薦を実施している学部の入学を早期に決めなければならないこともあり、マイペースな我が子には少し早すぎたようだ。塾からは推薦でチャンスを増やすことを勧められたが、学校(公立高校)の担任は「無理に受けなくてもいい」というスタンスだった。娘なりにいろいろ調べた結果、ここぞという学部はなかったらしく、推薦はやめておいて一般入試のみにかけることになった。

出願校は11月くらいに決めた。

A大学=(憧れ校)ランク高めだが、模試など見ると可能性はある。
B大学=(実力相応校)校舎キレイで華やかなマンモス校
C大学=(練習校)滑り止め その1 
D大学=(安全校)滑り止め その2(定員割れすれすれの、落ちることはあり得ないランク)
AとBは2日程ずつ(定員少なく門戸狭くなる全学部統一方式と、定員多く入りやすい学部個別試験)出願し、C→A(全)→B(全)→A(個)→B(個)  という理想のスケジュールを組む。早めに1月に練習として入試を体験させたいこともあり、共通テストも受けることにし、Aの共通テスト利用入試(前期)にも出願。ただし、一般的に、手軽にチャンスを増やせる共通テスト方式は、もっと上を目指す層がすべり止めに使うので、第一志望校の入試方式には向かない。

さあ、戦の開始。時系列に。
●共通テスト:善戦して、自己ベスト位の得点。共通テストのあのややこしい形式によく慣れたもんだ。
●②C試験:当日、受験科目数を勘違いしていたことが分かり、動揺しながら受験。国社2科目受けるつもりで家を出たが、実際は国1科目だけだったので、行ってからの待ち時間が長かった。
●C発表:まさかの黒星スタート!!   本人よりも親が動揺(😁)本当は、ここで安心して、明日からの試験を受けるはずだった。
●③A(全)→④B(全)→⑤A(個)→⑥B(個)試験。どの日も、「手応えなかった」暗い顔をして帰ってきた。
●③A(全)発表:1.8点届かず黒星、、、惜しい! ここで決めたかった!!
●④B(全)発表:試験はできたと言っていたので期待していたが、1時間大学のマイページに入れず、挙句の果てに娘「あ、不合格だ」、、、え? 自信あったのに、この結果? 暗雲濃くなる。
●A(個)発表:出来は悪かったという通り、黒。ただし共通テスト方式も同じ日に発表で、、こちらはなんと「補欠」つまり大学の想定以上に辞退者が出たら繰り上げ合格になる。しかし、いつ合格になるかは明確でなく、調べてみると、時には3 月下旬とかまで引っ張られることもあるようだ。ある意味不合格よりも苦しい。。。

そんなこんなで、ジェットコースターのようにぐわんぐわんと浮き沈みして(沈みだけか)迎えた最後の⑥B(個)の発表の日。この日曜日は、ママの誕生日も近いので、夜はママの誕生日祝いをすることになっていた。この日が近づいても、誕生日祝いのこととか、その日どこに買い物に行こうか、皆で話はするけど、誰も合格発表があることは怖くて触れられず。。。(笑) C大学(練習校)の「不合格」の文字を見てから、同じ文字を連続で見続けて、17日後。本人曰く、この日の試験は日本史で全く準備してなかった地質時代の出題があり、大問1問まるまる落としたとのこと。ここが不合格ならさらに安全な滑り止め校(⑦⑧⑨)に出願したり、3/7の卒業式休んで⑪を受験しなくちゃいけないという、ボロ雑巾がもっとボロボロになる死のロードが待っていた。
 大学の合格発表は朝10時。朝食後、僕は黙ってPCを出し、B大学のマイページを開いた。娘が見にくる。私「どこ見るの?」 娘「ここだよ、前もここだった」(震える声で) 私「え? ここ、このボタン?」。。。娘と覗き込む。そしてその文字は

 

「合格」

 

初めて見たその文字はめちゃくちゃ光ってた。

 

「うわぁああああああ、よかった~ああああ」半泣きで喜ぶ娘。「おおおおお」「やった~ああああ」両親も飛び上がって喜ぶ。みんなでハイタッチ。後でママに聞くと、私と娘は似た顔でよろこびをバクハツさせていて笑えたとのこと。

2年間の準備の末、やっと大学生になれた瞬間だった。ママの誕生日会は、娘の合格祝いも加わり、皆で外食する。「よかったね~」「つらかったね~」ママに対しては、今日の合格が何よりのプレゼントになった。ママは娘が高3になってから、何と合格するまでは美容院に行かない、という願をかけていた。これで、やっと行けるね!  それに加え、浮かれて、進学祝い家族旅行を3月下旬にすることにした。

しか~し、人間て欲が深いですよね、翌日にはA大学(①)の補欠合格の結果と、共通テスト方式の後期(⑩)の結果が気になっていた。
娘は結構疲れ果て、「私、もうB大学でいいや。いやむしろB大学に行きたい」とか言い出した。とりあえず入学金は払った(泣)。
でも、せっかく2年間準備してきたんだから、最後まで粘ろうよ。もしA大学から合格がきたらそっちにするように、さりげなく娘をリードしていく。あくまでも娘の人生だから、強要はできないが、A大学に望みが残っている以上、親としてはそれを捨てるわけにはいかない。

第2ラウンドが始まった。①A大学共通テスト方式の追加合格のお知らせは、待てど暮らせど来ない。A大学には「追加合格の結果はいつごろ出るんですか」とか電話で聞いてしまったが、当然明確な回答はない。本当に3月終わりまでにもつれる可能性すら出てきた。下手すると家族旅行の時期にまでもつれ込むのかもしれない。毎日A大学のマイページをチェックし続けて14日間待ち続け、いよいよ、明日は娘の卒業式、という日になってしまった。

この卒業式の日に、後から追加で出願した⑩A大学共通テスト方式(後期)の発表がある。娘が卒業式の朝10時にスマホをチェックするのは無理なので、ママが代わりに見ることになっていたのだが、ママが前日に、「明日ログインできるかどうか、試しにやってみようっと」と娘とA大学のマイページを見てみると。。。

 

「あれ、ここ合格って書いてあるよ。補欠だったとこ」

 

やっぱり本気の願かけした人が、一番引きがいいのだ。

かくして、結末はA大学補欠合格。もっと言うと、翌日発表の⑩共通テスト方式後期も合格(後期のほうが上の層が下りてくるので、これが今回の入試で最難関のはず)。

終えてみると、11戦するつもりで、実際にしたのは8戦。うち4勝、しかも第一志望校からは4方式受けて、2つも合格を頂くという好成績だった。しかし、そうなる前の、一つも合格がない状態の17日間と、合格したけど第一志望校の補欠合格を待っている14日間(しかも期限不明)、どちらも辛いつらいツライ戦いだった・・・。お子さんが複数いるご家庭はこれを何度もやっているのかと思うと、頭が下がる。一度で十分。

入試は、志望校を決めるまでが一番楽しかったかも。あとは、直前期に、親が外で感染症をもらってこれないプレッシャーもすごかった。本人も、親も、両方別の意味で苦しいし、つらい。それが受験。
だからこそ、それを一緒に乗り越えた嬉しさはひとしお。受験をする前よりも家族の一体感は高まったと思う。だが間違いなく、今回一番つらく、頑張ったのは娘。

さあ、娘の人生の新しいページが始まる。