旅行好きのライター仲間の30代女性が、遠すぎる国へ旅立った。
最初に彼女に会ったのは、確か8年前くらいの、ライター関係の集まりだった。その時そのへんの自販機で作ったペラペラの名刺を必死で、けれど明るく配っていた。
僕が出版社にいるときに仕事をお願いし、締め切り日に会社まで原稿を持ってきてくれた。
「これは兄さん(僕をこう呼んでた)の温情でもらった仕事だから遅れるわけにはいかない」と。
最近では2年くらい前に吉祥寺で飲んで、その時はやっかいな病気になったが完治した、と明るかった。
そして今年の最初に1度、8月に1度ハガキをもらい、8月にメールをやりとりしたとき、「元気だけど、病気も元気」みたいなことを書いていた。
急に悪化したことも入院したことも知らなかったので、半信半疑の参列だった。
安らかな顔だった。
彼女が書いた入院中の手記は、壮絶だった。死にたい、の文字も。
でも、いつかこの体験を本にしてやろうという気もあったそうだ。
通夜の喪主は、看病をし続けた彼氏。
最後の挨拶では「正直ほっとした」と言っていた。
僕も昨年、家族の看病の経験があるだけに、それは、よくわかった。
通夜の4時間の間、たぶん120人くらいの人が来ていて、彼女の棺を囲んで飲んだ。
お父様がしみじみと「○○は、東京出てきてこんなに人脈広げていたんだな。」とつぶやかれていた。
彼女が書いた文字は、まだ生きている。もちろん、これからも。